福島都茂子「フランスの人口政策―1930年代に本格化した家族政策―」

第11報告 「フランスの人口政策―1930年代に本格化した家族政策―」

福島 都茂子(宮崎産業経営大学)

フランスは近年、常に2に近い合計特殊出生率を維持し、「少子化対策に成功した国」として有名である。しかし、20世紀初頭のフランスは、現在の日本と同様の「少子高齢化」に悩んでおり、その対策として開始されたのが家族政策(人口増加政策)である。1930年代には出生率がさらに落ち込み、人口の自然減が続くなど、より深刻な状況となったため、政府はさまざまな家族政策を採用した。
本報告では、1930年代に採用された家族政策を中心に詳細に検証する。中でも、家族手当を法制化した「1932年3月11日の家族手当に関する法律」(通称ランドリ法)と、家族手当額を統一した「1938年11月12日の家族手当に関するデクレ」と、通称「家族法典」として有名な「フランスの家族と出生率に関する1939年7月29日のデクレ」の3つの法令を取り上げ、その詳細な成立過程のほか、政策の背景となった国内の社会状況や思想状況、当時の国際状況などについても検証する。
前者2つの法令は、現在も継続されている「家族手当」制度の起源となったものである。現在もすべての有子家庭に支給される家族手当(高所得者には減額)は、第二子以降に支給され、子ども数が増えると手当額も累進的に増額されるという出産奨励主義的性格を今なお有している。これは1938年のデクレ以降ずっと継続されている特徴である。
フランスは他の西欧諸国と比べてどこよりも早く、18世紀後半から人口が停滞し始めた。理由は出生率低下による出産数の減少で、1890年には人口の自然減を経験しており、いわば「少子高齢化の先進国」である、19世紀末から、フランス政府はこうした状況を「人口減少問題」として認識し、対策が必要な優先的政策課題と捉えるようになった。
1930年代に採用された家族政策は、原則として、第二次大戦中ドイツ軍占領下で誕生したヴィシー政府にも受け継がれ、1942年にはそれまでずっと下降傾向だった出生率が上昇に転じるに至った。それ以降も出生率は上昇を続け、戦後の爆発的ベビーブームへとつながった。ヴィシー政府崩壊後も、戦後の臨時政府によって同様の家族政策は継続され、少なくとも1970年代までは、その基本的性格は維持された。
本報告では、1930年代のフランスの家族政策が第二次大戦後も引き継がれ、現在の家族政策にも影響を与えていることも明らかにする。

〈参考文献〉
福島都茂子『フランスにおける家族政策の起源と発展:第三共和制から戦後までの「連続性」』法律文化社、2015年

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