会長挨拶

2023年10月23日

新会長挨拶
三成美保(追手門学院大学教授・奈良女子大学名誉教授)

 このたび、比較家族史学会の会長に選任された三成と申します。わたくしの専門は、比較法制史・ジェンダー法学・ジェンダー史です。 1990 年ごろから本学会に参加しておりますので、ジェンダー視点から少し学会の歩みを振り返り、ご挨拶に代えたいと思います。比較家族史学会は 1986 年に学会として発足して以来、すでに 37 年がたちました。学会としての実績には目を瞠るものがあります。年2回、研究大会を開催し、その成果を年報『比較家族史研究』や本学会監修のシリーズで公表してき ました。シリーズ「比較家族」は1992 年に始まり、わたくしが関わったものとしては、『ジェンダーと女性』( 1997 年)、『国民国家と家族・個人』( 2005 年)、『<いのち>と家族―生殖技術と家族(1)』( 2006 年)があります。学会は 2017 年から「家族研究の最前線」(全 5 巻)という新しいシリーズを出しており、目下、さらに新しい企画が進行中です。
 日本の家族史研究では、家族を国家や公権力との関係で論じる傾向が強く見られます。戦後民主主義の下、「家」制度を否定し、「個人の尊厳 と両性の本質的平等 」(日本国憲法 2 4条)に立脚する新しい家族を作り出すことに大きな期待が寄せられたからでしょう。「家」と「家族」を対比し、伝統的家父長制から近代的な家族への移行を論じることは、本学会でも重要な関心事とされました。シリーズ「比較家族」第 1 巻が『家と家父長制』( 1992 年[ 2003 年新装版])であったことは象徴的と言えます。この点はヨーロッパの家族史研究と大きく異なります。
 ヨーロッパで近代諸科学が成立した 19 世紀には、「家族」は歴史学の対象ではありませんでした。歴史学の対象は「公的領域」の問題、すなわち外交・戦争や国内政治に 関わる事件史に限られたのです。家族が歴史学の本格的な対象となったのは 1960 年代以降です。イギリスではラスレット率いる歴史人口学、フランスではアナール学派の社会史、オーストリアでは歴史民俗学が「家族」に重大な関心を寄せるようになりました。世帯構造、家族の規模やサイクル、結婚行動などがさかんに研究されましたが、日本のように直接的に国家と結びつける視点は乏しかったと言えます。ともあれ、国内外で家族への関心が高まった時期に比較家族史学会が創設されたのは必然でした。本学会草創期の 80 年代日本では、夫が稼ぎ主とな り、妻が主婦として無償労働に携わりつつパート労働者として家計を補助するという性別役割分担型家族が主流になりつつありました。 1985 年に均等法が成立したものの、妻がフルタイム労働の共働き世帯数は増えず、400 500 万世帯のまま推移して今に至ります。比較家族史学会でも「女性」や「母」はほとんど問われませんでした。転機となったのは、 199 4/95 年のシンポジウムです。「女性史・女性学の 現状 と課題」というタイトルで、比較家族史学会としてはじめて「女性」を論じたのです。このとき、わたくしもパネリストの一人として登壇 し、他にもジェンダー視点に立つ研究報告がいくつかなされたのですが、まだだれ一人「ジェンダー」という言葉は使いませんでした。しかし、シリーズ「比較家族」に収録されたときのタイトルは『ジェンダーと女性』。この書物こそ、比較家族史学会においてもジェンダー研究が不可欠であるとのメッセージになったのです。
 21 世紀国際社会では、家族が多様化し、「家族」概念はますます包摂的になっています。2001 年オランダを皮切りに同性間の婚姻が認められ、養子縁組や生殖補助医療を用いた家族形成が進んでいます。性がスペクトルをなすこと はすでに生物学的・医学的知見として共有され、「近代家族」の存立を支えてきた性別二元制や異性愛主義の見直しが始まっています。一方、これに対抗するように「伝統的家族」を擁護する動きも活発になっており、特にLGBTQ へのヘイトクライムやヘイトスピーチが後を絶ちません。例えば、ポーランド やハンガリー では、婚姻を異性間に限定し、同性カップルによる養育を否定する「家族憲章」 を採択したり、 学校 における LGBT 教育を 禁じ たりする 動きが 顕著です 。 このような動きは2020 年のコロナ禍をきっかけに強まっており、欧州委員会は EU 初となる「 LGBTQ 平等戦略 2020 2025 」でレインボウ家族の権利保護を課題として掲げました。 こうした 動向をふまえ、 本学会で は 2026 年に 「 LGBT と家族」 をテーマに シンポジウムを開催予定です。
 日本でも、 2006 年の教育基本法改正以降、ことあるごとに教育を通じた「あるべき家族」の規範化が頭をもたげます。しかし、家族の多様化は不可逆的な趨勢であり、しかもそれは家族の解体を意味しません。少子高齢社会の中で「人生 100 年時代」を迎えた日本。近隣のアジア諸国は日本以上に早く少子高齢化が進むと予測されています 。家族は、親密な者同士の自由な合意による「ケア・生活共同体」としての意義・役割をいっそう強めていくことになるでしょう。ただし、それは国家・社会・家族におけるジェンダー平等と個人の尊厳保障が達成され、国家による「公助」が十分機能している社会の実現とセットでなくてはなりません。このような未来社会を見据え、「包摂的家族」の可能性を歴史と比較を通じて切り拓いていくことが、比較家族史学会の大きな課題になるのではないでしょうか。
 これから 3 年間、学会のいっそうの活性化をはかるべく尽力いたします。今後とも会員のみなさま のご協力をよろしくお願いいたします。