第2報告「明治民法下の世代間関係の理念と実相――扶養法と「家」制度を中心に――」
宇野 文重(尚絅大学)
本報告では,明治民法下の世代間関係について,扶養法を素材として,とくに「家」制度との関係に注目しながら検討したい。明治民法の扶養は,基本的に「孝恩型親子関係モデルデル」(親の恩に対する孝としての扶養,老親扶養規範型)であったといえるが,「家」制度の枠組みの中で,扶養を個々人の権利義務関係として構成した点に留意が必要である。
明治民法の「家」制度は,端的には「戸籍」の単位を法律上の「家」とし,戸主権規定と家督制度を核とした制度である。扶養との関係においては,扶養義務者の順位のみならず,相続や隠居制度のあり方が扶養の実践的・財産的側面を羈束し,前近代以来の「孝」や「恩」という規範的側面とも切り離せない。また,公的扶助と私的扶助の関係性についても,「家」による家族員の生存保障という歴史的・規範的前提があることは重要であろう。
このような歴史的連続性を有する(≒伝統的要素を持つ)「家」制度を規定した明治民法は,同時に「社会進化論」的発想のもとに西洋法原理を継受し,「社会の進化」に応じて改正されることを前提とした過渡期的な法としての“新しさ”を持つという二面性を有する。
例えば,子世代の親世代に対する扶養義務は,配偶者相互の扶養義務より下位に置かれている一方で,配偶者の直系尊属(「舅姑」)に対する子世代(嫁・婿)の扶養義務を規定している。また,親世代の子世代に対する扶養義務についても,親の養育・扶養義務すなわち親権を規定するとともに,戸主の家族員(子世代の)に対する権利行使と扶養義務も規定されており,その結果,親権と戸主権の競合・相克が問題となる。
こうした明治民法下の扶養法の構造は,民法典制定前の明治前期とも異なり,また戦後の改正民法とも異なる。本報告では,その相違にも注意しながら,以下のように論を進めたい。
第一に,明治前期(明治31(1898年)の明治民法施行前)における法令について,先行研究に依拠しながら概観し,若干の下級審判決を紹介する。
第二に,明治民法の扶養法の構造について検討する。明治民法は,戸主の家族員に対する扶養義務,夫婦間相互の扶養義務,親権ないし子の監護・教育義務をそれぞれ別個に規定した上で,扶養法の一般的規定として第1位から第6位までの固定的な扶養義務者の順位を定めた。複数の扶養義務者がある場合には原則として「当事者間の協議」に委ねている現行民法の規定とも異なるこの構造を,起草過程における議論も含めて検討する。
第三に,明治民法における世代間関係の相克を直接的に論じた中川善之助の扶養法理論を取り上げる。中川は扶養義務を「質」によって分類し,自己の生活水準と同等の扶養を必要とする「生活保持義務」と自己の生活を脅かさない程度での扶養にとどまる「生活扶助義務」に区別し,前者を夫婦および未成熟子に対する扶養と想定した。この理論には批判も多いが,「家」制度の枠組みを脱却した家族像を提示し,戦後,判例・通説も採用するところとなった。最後にこの中川理論を「孝恩型親子関係」モデルから「中間形態」モデルへの転換としてみることができるか,検討を加えたい。
【主要参考文献】
中川善之助ほか責任編集『扶養 家族問題と家族法Ⅴ』(酒井書店,1966年)
中川善之助「扶養義務の二つの原型について」(初出 1963 年,『家族法原型の諸問題』所収, 初出年,勁草書房,1969 年)
藤原玲子「明治前半期における「家」制度――扶養法を通じて」(初出 1964 年,片倉久子 編『日本家族史論集 10 教育と扶養』所収,吉川弘文館,2003 年)
和田于一「扶養義務」(穂積重遠・中川善之助責任編集『家族制度論 法律編Ⅳ 家』所収, 河出書房出版,1938 年)
白石玲子「介護休業とジェンダー」(比較家族史学会監修,山中永之佑ほか編『シリーズ比 較家族第Ⅱ期 4 介護と家族』早稲田大学出版部,2005 年)