中近世ベトナムにおける「家」と「族」
桃木至朗(大阪大学)
(要旨)
本報告は、もともと双系制的な家族・親族構造が支配的だったと考えられる現在の北部・中部ベトナム社会(中国に対抗する小帝国を作ろうとしていた)において、中世・近世(おおむね10~19世紀)にどのように父系制原理が浸透したかを、儒教イデオロギーの影響とあわせて概観しようとする。前半では14世紀までに「父系王朝」が確立する過程を、皇太后や一族の女性長老の役割、父系族内婚と傍系親族に注意しながらあとづける。女帝は出ないが皇后・皇太后(再婚もできる)を含めた最高主権の分有が当たり前で、個々の支配者の能力や人間関係によって「王朝」のありかたが変化する国家が、「王朝交代が中国の介入を招いた」980年の経験などから、「父系世襲王朝」の創出に乗り出すのだが、その過程は後世のゾンホのもととなる父系親族集団を上から創り出す過程でもあった。
後半では14世紀以後の碑文と法典、18世紀以後の家譜などに表現された家族・親族(現代語でゾンホと呼ばれる父系親族集団の原型)の特質を、系譜認識と分節の方法、女性や外族の扱い、儒教以外(特に仏教)を含む諸宗教の役割と祖先祭祀、村落共同体と族の関係などから考える。唐律から多くの条文を引き継いだ「国朝刑律」(15世紀にほぼ完成し18世紀まで使われる)における相対的に高い女性の地位(財産の所有・相続権や女性からの離婚請求権など)は早くから注目されていたが、近年、ジェンダー史の観点の導入の一方で、おびただしい量の村落レベルの近世後期史料が利用可能になっている。そのため、表面上は中国の宗族の規範に従っている親族集団の実態(家譜には始祖から代数を数えるのではなくegoから遡って代数を表記するものがよく見られるなど、ユニークな記述方法もいろいろ見られる)、そこでの女性や「外族」の地位・役割などの研究が、主に近世後期について活発化している。近世後期の北部・中部ベトナムでは村請制の村落共同体とゾンホの形成(基本的に一村内部で完結する)の両方が進み、双方が多くの史料・文書を残しているのである。論争中の事柄も多く全体像を描き出すのは困難なので、今後の展望や方向性を述べるにとどまる点が多くなると予想されるが、日朝中などとの比較の土台のアップデートができれば幸いである。