【自由報告要旨】
劉恒宇(京都大学文学研究科・院)
越境する親子愛―中国近代教科書体系の転換と親子をめぐる感情規範の変容―
本報告は西欧家族史研究の知見を踏まえ、感情史の分析枠組みを、主に中国を事例として、家族の近代化の研究に適用することを試み、近代教科書体系の転換によって、親子関係をめぐる感情規範の変容を記述する。分析する時期は 19 世紀末から 1920 年代までである。
具体的には、まず感情史研究における、アメリカ社会史家ピーター・N ・スターンズと彼の妻であるキャロル・ Z ・スターンズによって作った「エモーショノロジー(emotionology )」という概念を説明し、それを本研究の分析に適用することを先に断っておく。そして、清末から 民国時代までの教科書の近代的改良政策を概観し、本稿の分析資料を紹介する。次に、中国の伝統的童蒙教科書の内容や近代修身教科書の内容と挿絵を分析し、さらに西欧家族史研究で蓄積されてきた「近代家族」をめぐる知見も加え、そこから見られる親子間の感情規範に関する三つのパターンを抽出し、三者の相互関係を明らかにする。最後は、近代化に伴い、中国社会における親子間の感情規範の変容を記述し、その要因を推測し、特に日本からの影響に焦点を当てて分析する。
分析の結果、1900 年代後期から、中国国内では教科書改革に対する関心が高まりつつあって、海外の教科書を翻訳したり、海外の教科書に倣って新しい教科書の制作を試みたりする動きが民間で見られる。 1902 年 から 「親恩」で「父慈」の論理を代替する記述の仕方や挿絵の使用が 教科書で登場した。 1906 年の検定規則の決定によって、教科書を体系化する近代的な改革が加速化され、初等修身教科書における挿絵の使用率も上昇し、親子感情規範における近代家族的エモーショノロジーの浸透を顕在化させた。 1912 年中 華民国が成立した後に新たに公布された検定規則は教科書形式の統一化を促進させたため、民国時代に出版された 修身教科書から明確な「儒教型近代家族的エモーショノロジー」が観察できた。この一連の変化は日本の近代修身教科書からの影響を強く受けていることも確認できた。まず、日本近代修身教科書の徳目の構成に模倣することによって、「父慈子孝」を軸とする儒教的感情規範を「親恩子孝」を軸とする感情規範に転じた。もともと、子の親への感情の注入をより強調する「父慈子孝」の論理では、親の子に対する愛情表現は警戒され、親の子に対する感情表現の規範の言説化も制限されていた。しかし、互いに条件となる「親恩子孝」の論理では、親の子に対する愛情 表現は「孝」の遂行を正当化した前提として語られると同時に、親の子に対する感情表現の規範の言説化も実現した。それが近代家族的エモーショノロジーの浸透する基盤を準備し、更に、挿絵の導入や日本修身教科書の中の挿絵への模倣という操作と相まって、近代家族的エモーショノロジーの浸透を促進させ、最後は「儒教型近代家族的エモーショノロジー」という新たな感情規範に結実した。
宍戸育世(大阪大学大学院国際公共政策研究科・院)
寄与分制度における介護型の寄与の評価―ドイツ法の議論を手掛かりに―
高齢化社会の到来とともに、2000 年以降、 被相続人に対して生前に介護した相続人が、家庭裁判所における調停・審判 で、介護による貢献を民法 904 条の 2 の寄与分として 主張する事案が増加している。 寄与分制度とは、 1980 年の民法改正により導入され、 共同相続人の中に、被相続人の財産の維持または増加に特別の寄与をした者がいる場合に、その寄与者の寄与を者の寄与を「寄与分」として法的に評価し、法的に評価し、法定相続分を寄与に応じて修正する法定相続分を寄与に応じて修正することで、共ことで、共同相続人間の実質的な衡平を図ろうとする制度である同相続人間の実質的な衡平を図ろうとする制度である。被相続人への介護は、寄与分の態様。被相続人への介護は、寄与分の態様のの11つである療養看護に含まれると解されているつである療養看護に含まれると解されている。しかし、家庭裁判所において、介護による寄与を主張しても、寄与分の要件である「特別の寄与」に対する厳格な解釈や、民法上の親族間の扶養・協力義務(民法親族間の扶養・協力義務(民法752条、877条以下)の強調等により、認められない場合が多く、認められたとしても低額の評価にとどまるという実態が明らかになっている。そのような家裁実務に対して、「特別の寄与」を絶対評価する姿勢への批判や、相続人間の具体的衡平を実現するという視点から、療養看護型の寄与については、特別の寄与の「特別性」を過度に重視すべきではないという指摘がある。
一方、ドイツにおいても、ドイツ民法典 2057a 条に日本法と類似の機能を有する寄与の調整制度が定められ、寄与分の算定方法は裁判所の裁量に委ねられている。療養看護型寄与分の法的評価については、かつてドイツでも日本と同様の問題を抱えていた。その問題への対応のため、ドイツでは、 2009 年 の法改正により 療養看護型寄与分の認容要件が緩和され た。そこで、 本報告 では、ドイツ の 2009 年法改正 時の議論および改正後の学説・判例を中心に分析し、被相続人への介護による寄与がいかなる判断基準で、相続法上どのように評価されているのかを明らかにすること で、介護型の寄与の評価方法を検討する一助としたい。また、この問題の検討は、日本において 2018 年の相続法改正により新設された特別寄与制度(同法 1050 条)における相続人以外の親族による療養看護型の寄与の「特別の寄与」要件の解釈にも資するものであると考えられる。
関連文献
・宍戸育世「ドイツ寄与分制度における療養看護型給付の評価について」国際公共政策研究国際公共政策研究2626巻巻11号号((20212021年)年)11–2323頁頁
本多真隆(明星大学)
丸山眞男学派と家族研究―近代日本における公私領域と「家庭」―
今日の家族研究では、家族と政治の関連、私領域の問題が政治的な問題と連動していることは、多くの議論の前提となっている。「個人的なことは政治的である」と喝破したフェミニズム、福祉研究、また「親密圏」をめぐる近年の政治哲学の議論などをあげることができよう。
もっとも日本においては、家族をとりまく政治の問題は、学際的に取り組まれてきたテーマでもあった。丸山眞男の学統を中心とした政治思想史家による家族研究は、そのひとつとしてあげられよう。代表的なものとしては、松本三之介、石田雄、藤田省三らによる家族国家研究、橋川文三による「家」と知識人に関する考察、また神島二郎による結婚論、家庭論などがある。彼らが問うたのは、戦前期日本における私領域と国家政治の問題、そして戦後の市民社会の基礎となる紐帯(「家庭」)の可能性であった。彼らの業績は、今日の家族研究においても重要なものと位置づけられているが、その現代的意義については、これまで十分に検討されてきたとはいいがたい。現代日本の家族と政治の問題を考察する基礎として、そして家族研究の学際性の伝統を掘り起こす意味でも、彼らの研究を検討することには一定の意義があるだろう。
本報告では、丸山眞男の学統にあたる政治思想史家の家族研究を中心に、彼らの問題意識と、近現代日本の家族論における立ち位置を検討する。特に、彼らが問題化した戦前期日本の「公」と「私」の問題、そして神島や石田が重視した「家庭」論に焦点をあてる。なぜ政治を主な対象とした政治学者たちが家族の問題を論じたのか、それは今日の家族と政治をめぐる議論とどのように接続できるのか。報告においては、彼らの「家庭論」の現代的意義を、その限界も踏まえながら検証し、今日では保守的なキーワードとして位置づけられている「家庭」という言葉の応用可能性についても国内外の研究を参照しながら議論したい。
石川美絵子 (社会福祉法人日本国際社会事業団(ISSJ)常務理事)
ISSJの実践と国際家族
日本国際社会事業団(日本国際社会事業団(ISSJ)は、1952年に設立された日米孤児救済合同委員会を前身年に設立された日米孤児救済合同委員会を前身とする。1955年に福祉系組織の国際ネットワークであるInternational Social Service (ISS)の日本支部となり、1959年に社会福祉法人として認可された。当時の日本社会では、日本人女性と駐留軍兵士との間に生まれたミックスルーツ(「混血児」と呼ばれ、子どもを家庭で養育することは難しく、ISSJ創始者たちは国際養子縁組が子どもの福祉に叶うと考えて支援を開始した。その後、70年の活動を続ける中でISSJの活動は多様化し、養子縁組の他に、無国籍の子どもの支援や難民・移民の支援、離婚後の面会交流支援などを行面会交流支援などを行っている。いずれの場合も子どもの最善の利益を中心におく家族支援を、ソーシャルワークとして実践する。
本講演では、支援を実践する立場から多様な家族について考え、その背後にある環境変化や課題を概観する。また、現状を踏まえて、これから家族はどのように変容していくのかを検討したい。
プロフィール
石川美絵子(いしかわみえこ):社会福祉士、社会福祉法人日本国際社会事業団(ISSJ)常務理事。津田塾大学国際関係学科卒業。日本社会事業大学社会福祉士養成課程・慶應義塾大学システムデザインマネジメント研究科修了。民間企業勤務を経て2010年より年より福祉職に転じ、ISSJに勤務。2016年、事務局長を経て、常務理事就任
〇著作
・ 養子縁組と移民・難民支援における国際ソーシャルワークの役割(共著、大場亜衣、榎本裕子)『世界の社会福祉年鑑〈2019年度版〉 18集』2018年11月 旬報社
・ 社会的養護における外国人の子どもへの支援(共著、小豆澤史絵、大場亜衣)『社会福祉研究』第139号 2020年12月 公益財団法人鉄道弘済会
◯ 外部委員外部委員
・ 第6次出入国管理政策懇談会 難民認定制度に関する専門部会(2013−2014)法務省
・ 第三国定住による難民の受入れ事業の対象拡大に係る検討会(2018−2019)内閣官房 特別養子縁組成立後の支援のあり方に関する調査研究(厚生労働省 令和3年度子ども・子育て支援推進調査研究事業)(2021−2022)政策基礎研究所(EBP)
・ 養子縁組記録の適切な取得・管理及びアクセス支援に関する研究会(2021−2022)日本財団
【特別写真展要旨及び写真展要旨及び講師プロフィール】
白井千晶(しらいちあき)(静岡大学静岡大学 教授・家族社会学)
オンライン写真展「フォスター」にみる社会的養護をめぐる私たちの物語
概要
「言葉と写真でつむぐ フォスター」は、日本で初めての里親家庭・養子縁組家庭は、日本で初めての里親家庭・養子縁組家庭を写真と言葉で写し取ったプロジェクトです。子どものプライバシーやリスク、親権者・児童相談所の同意などの点から、里親家庭・養子縁組家庭を撮影したり、写真とともに語りを公開していくことは困難でした。フォスターではご本人・家族・お子さん、親権者や児童相談所等の関係機関などと話し合いを重ね、細かな約束事項を確認して、実現にいたり、写真展、講演会やイベントなど全国様々なところで多くの方に見ていただいてきました。
今回、本学会春季大会において、オンライン写真展を開催できることになり、皆さんに里親家庭・養子縁組家庭の日常や、一人一人の、あるいは家族の物語やエピソードを紹介したいと思います。フォスターでは、子どもを養子として託した生みの親、里親や施設に子どもを預けたことがある親、大人の養子の立場の人など、様々な立場の方の視点で捉えることを大切にしてきました。またその方々自身の語りも大切にしてきました。当日はそれも皆さんと共有できるようにしたいと思います。
【シンポジウム】
趣旨説明
床谷文雄(奈良大学)
「<産みの親>と<育ての親>の比較家族史」
2022 年度春季大会シンポジウムは、昨年秋季大会でのミニシンポジウム「〈産みの親〉と〈育ての親〉の比較家族史①妊娠・出産と出自をめぐる日独比較」を踏まえて、人の出生から成長の過程における〈産みの親〉と〈育ての親〉の意味について考える。秋季大会では、予期しない妊娠・出産をした母親が匿名で他者に子を引き渡して養育を委ねる方法として、ドイツの「匿名出産」と「ベビークラッペ」、それらへの対処として立法化された「内密出産」制度、ドイツにヒントを得て熊本市の慈恵病院で実施されている「こうのとりのゆりかご」と「内密出産」の試みを とりあげて、妊娠・出産のあり方と、子が〈産みの親〉ないし自己の出自を知る権利について考えた。春季大会シンポジウムでは、〈産み〉の場面と〈育て〉の場面のそれぞれにおいて、親と子の関係の形成をめぐる様々な要素について考えるという課題を設定し、比較家族史の観点から時間軸、空間軸を拡げて、〈産みの親〉と〈育ての親〉についてより多角的に分析する。
母(その家族)が妊娠の継続あるいは出産した子の養育の引き受けを躊躇し、拒絶する理由として、性交渉自体に同意のない妊娠や性交渉には了解があっても避妊の失敗による妊娠、妊娠の意識・知識に乏しい未成熟な男女間での性交渉による妊娠など思いがけない妊娠の問題がある。夫でない男性の子を妊娠した場合も含め、婚外子の妊娠・出産は、産みの親から子が引き離される大きな原因となる。
母が子を手放すことを望むこともあれば、周りが強いることもある。助産師や医師が口利きをしたり、地域コミュニティ、母子支援者・支援団体などの善意の仲介者が関わったり、悪質な媒介者が関わることも考えられる。子を受入れる側も、親族(祖父母を含む)の場合、他人の場合、寺社・教会から社会施設まで多様であり、家庭への受け入れでも、養子とすることも実子とすること(藁の上からの養子)もある。集団的な受け入れとして、社会的養護の在り方にも議論は広がる。
シンポジウムの第1 セッション「妊娠と出産をめぐる比較家族史」では、「妊娠」から「出産」に至る過程における諸問題を論ずる。婚姻外での妊娠や配偶者以外の男性の子を妊娠した場合の妊産婦及び子に対する倫理的な問題、社会的な処遇の問題を 1 つの焦点とする。アフリカ、西欧、日本から話題を採り、歴史軸としては、近世から近代、現代に及ぶ。第 2 セッション「〈産み〉から〈育て〉への比較家族史」では、子の〈育て〉を めぐる多様性を考える。特に、子育ての外部化・社会化に関する検討を行う。産みの親と育ての親が異なる場合の〈親〉の意義について、血縁上の親、育ての親、社会的親、里親、養親、社会的養護など、産みから育てへのプロセスの多様なあり方とそこにおける子の〈育ち〉と〈育て〉の意義を考える。地域的には、日本、朝鮮・韓国、台湾、時代的には近世、近現代と限定的ではあるが、子の〈育て〉の多様性について報告がなされる。以上を踏まえて総合討論を行う。
梅津綾子(南山大学人類学研究所)
ナイジェリア北部の出生に基づく親子考―「里 親養育」慣行、リコを射程に入れて
本発表は、西アフリカ・ナイジェリア北部ハウサ社会の授乳と親子関係の連関について、「里親養育」における親子関係と対照させつつ論じるものである。
他の西アフリカ諸社会と同様に、ハウサ社会でもリコと呼ばれる「里親養育」が慣習的かつ一般的に行われている。引き取られた子(〈子〉)が育ての親(育親)の養育を受ける期間は、〈子〉が結婚するまでの 10 数年にも及ぶ。そのため育親は、〈子〉に(そして社会的にも)生みの親と同等かそれ以上に尊重される存在となりうる。
西アフリカの「里親養育」を研究するE. アルバーは、西アフリカの「里親養育」を「子どもの(想像の)所属が移行すること」と定義する。この場合の「想像の所属」は、血など「自然な」サブスタンス(身体的構成要素)から見出されるのではなく、象徴や行動、感情を必要とする[ Alber 2013: 102 ]。そして「所属とは」「原則として想像の所属であり、生物学上あるいは自然な要素に基づいているのではない」[ Alber 2013: 100 ]とする。一方ハウサでは、授乳による母子のつながりの形成もまた重要視されている。あるハウサ人は、「リコは離乳食を食べるようになってから。もし赤子が生後すぐに生母から引き離されて、育ての母が粉ミルクを飲ませて育てると、その子は生母を大切にしなくなる。子どもは母乳を通して母親とつながる」と語る。また〈子〉と育親の実子は結婚可能である一方、母乳を分け合った子らは結婚できないという言説がある。
発表者もアルバーと同様に、「自然な」サブスタンスが親子関係に必要不可欠とは考えない。一方で、「自然な」サブスタンスには、親子関係を構成する上で要するとされる「呪術的な共感関係」を構築するための連続性[清水 1989 ]を示すものとして選ばれやすい魅力があるのではないか。その意味で「自然な」サブスタンスは子の「所属」と無関係と言い切れないのではないか、と考える。本発表では、ハウサの授乳を主とした生みの親子に関する習俗・民俗的観念に着目することで、「里親養育」を含む親子関係論に深みを加えたい。
【引用文献】
清水昭俊(1989 )「血の神秘 親子のきずなを考える」田辺繁治編『人類学的 認識の冒険 イデオロギーとプラクティス』 pp.45 68 、同文館出版。
ALBER, Erdmute(2013) The Transf er of Belonging: Theories on Child Fostering in West Africa Reviewed. In Erdmute Alber, Jeannett Martin and Catrien Notermans (ed), Child Fostering in West Africa: New Perspectives on Theory and Practices, BRILL, Leiden and Boston, pp. 79 107.
柴田賢一(常葉大学)
初期近代イングランドの「妊娠」「出産」と家族
本報告では16 世紀から 17 世紀にかけてイングランドで出版された家政論、産婆術書などの文献を主な資料に据えて当時の妊娠・出産をめぐる言説をたどり、当時の生殖や子どもの誕生が家族との関係でどのようにとらえられていたかを明らかにしていくことを試みる。
ミシェル・フーコーは『統治性』とも呼ばれるコレージュ・ド・フランスの講義で16 世紀に子どもの統治、子どもの教育の問題が浮上したことについて触れているが、家政論における子どもの統治や education とはしつけや読み書きの学習のみを意味するものではなく、母親による授乳を重視し、衣服や食事を子どもに与え、キリスト教教育を施すという、子どもが生きていくことができるようにすることに主眼を置いた営みであった。しかもその始まりは出産後の授乳であるとは限らず、当時の家政書では、子どもの出産以前の子どもを授かる方法にまでさ かのぼって、生まれてくる子どもの性質に対する配慮が述べられることもあった。家政の助言書ではまた、キリスト教道徳に反した方法での性行為の結果が、身体的な障害を持つ子ども( Monstrous Chyld モンスター・チャイルドなどと表現される)としてあらわれてくるという倫理観も示されており、妊娠・出産は家政の統治の一つの関心事でもあったことが明らかとなっている。一方で当時の妊娠・出産についての先行研究は主に産婆術書などを資料とした分析が進められているが、当時は医学的にはまだヒポクラテスやガレノスの理論が中心であ り、その知識とキリスト教の宗教的な見解が混ざり合った内容であったと言われている。
本報告では以上のように家政論著者(多くはキリスト教の説教師である)の見解を、産婆術書や、キリスト教道徳に反した生殖の結果生まれたとされる子どもについての言説と併せて分析を進めることで、妊娠・出産からその後の子育てに至るプロセスを家政の統治の一局面として捉えていきたいと考えている。
小谷眞男(お茶の水女子 大 学)
「お上の正義が晴らすべきはまさしくこの闇なり」20 世紀初頭ナポリの裁判事例を通して見るルオータの法社会史
統一イタリア王国成立から間もない1901 年のナポリ。とある地区の住民たちから一通の告発状が地検に送られてきた。「 罪深い者どもを処罰し、我らに心の平安を与えよお上の正義が晴らすべきはまさしくこ の闇なり」。この半ば匿名の告発状を受け取った検事らの取り調べによって、ナポリ某所に住む、夫とは長期別居中のアマリアという女性が、同棲相手との間に生まれた赤ん坊を両親とも知れぬ子として役所に届け出させた上、泣く子も黙るアヌンツィアータ聖母修道院の「ルオータ」、言うなれば「捨子受入れ回転窓口」に「付託」させたことが判明。予審判事は一件書類を揃えてアマリアの訴追請求をした。ところが公判廷で裁判官は、出生証明書が「認知されていない自然子(婚外子)」となっているためイタリア王国統一刑法典( 1889 年)の捨子付託罪( § 362 )を適用できない、として訴訟手続を保留にしてしまう。果たしてこの事件の行く末はいかに。哀れアマリアの運命は。近隣住民たちはなぜアマリアを告発したのか。そもそも当時のイタリア実定法の枠組み(民法典、刑法典、刑事訴訟法典等々における関連規定、判例実務、学説など)はどうなっていたか。なかんずく「名誉の事由( causa di onore; causa honoris )」のパラダイム 特定の犯罪行為(嬰児殺、堕胎、遺棄、捨子 ……)について、女性の性的名誉に関わる動機があればその刑を減軽するという趣旨の、知る人 ぞ知る一連の国家制定法規定群 は現実にはどのような形で人々の法意識と法行動に作用していたと考えられるだろうか。そして、そのころ全国 1,000 ヶ所以上のルオータが作動していたイタリアにおける捨子慣行をめぐる社会通念と、生活世界に生きる実存との落差は本報告では、出産と子育てをめぐるイタリア法文化史を考察する作業の一環として、上述のような 20 世紀初頭ナポリにおける名も知れぬ刑事裁判事例数件の史料分析を試み、いわばイタリア史版「赤ちゃんポスト」たるルオータ( ruota. 原義:回転するもの)の法社会史を遠望してみたい。
河合務(鳥取大学)
20 世紀初頭フランスにおける出産奨励運動と母子の衛生問題について
19世紀末から 20 世紀前半にかけて欧米や日本は競い合うように「人口増加戦」を繰り広げた。フランスでも 19 世紀に顕著になっていく少産化傾向を背景として多産な家族を奨励する出産奨励運動が展開されたが、それは妊娠・出産の管理や産育習俗の変革を目指すものであった。本発表では、フランスの出産奨励運動家たちが母子の衛生問題についてどのような関心をもっていたのか、妊娠・出産や産育習俗の何が問題とされ、どのような対処が目指されたのか、という点に焦点をあてて「〈産みの親〉と〈育ての親〉の比較家族史」というテーマに迫るものである。
フランス出産奨励運動はパリ統計局長で人口学者のジャック・ベルティヨン(18511922 )が 19 世紀末に「フランス人口増加連合」という団体を設立したことから本格的にスタートしたが、ベルティヨンはフランスと諸外国の人口動態の比較を精力的に行っただけでなく、 1893 年にパリ統計学会で「出生前の死亡について 胎児段階での死 」という講演を行い、同名の論文を発表している。出産奨励運動において胎児の死産・流産に焦点があてられた事例として注目される。
また、博愛主義的な上院議員で「フランス人口増加連合」の創設時からの会員だったポール・ストロース( 1852 1942 )の『人口減退と育児学』 1901 年)や『健康十 字軍』1902 年)といった著作では、堕胎、死産・流産、乳幼児死亡、嬰児殺、捨て子などが論じられており、出産奨励運動家の母子衛生への問題関心が表れている。
ベルティヨンやストロースら出産奨励運動家は、死産・流産や乳幼児死亡の主な原因が母親の貧困、過労、無知などにあると論じ、その対応策としては経済的支援としての家族手当や税の軽減、産前・産後の休業、衛生・保健に関する母親教育の必要性を論じた。
1902年にフランス議会に「人口減退に関する委員会」が設置され、ベルティヨンやストロースをはじめとする出産奨励運動家も 委員に選ばれた。この委員会での議論をもとに 1911年にまとめられたのが『死亡原因に関する総合報告』である。この総括的報告書の主な論点となったのは、 ① 堕胎の抑制、 ② 死産・流産の回避、 ③ 乳母問題、 ④ 衛生教育であり、ベルティヨンやストロースら出産奨励運動家が抱いていた問題関心が論点化され盛り込まれている。本発表では、この報告書で大きく取りあげられた「育児学」の意味内容についても踏み込んだ検討を行う。
大出春江(大妻女子大学人間生活文化研究所)
1920 年代日本の赤ちゃん健康表彰事業と都市の家族
近代日本における出産や子育てについては、かつては民俗学によって、近年は産む当事者の女性が語る生活史として報告されている。それらから、妊娠や出産、さらに産後ケアに対する考え方 規範 が地理的環境や生業に規定され、地域ごとに異なるということである。そのため、近代日本の出産と子育て、という一般化の仕方はあまり意味がないかもしれない。
民俗学は日本の各地にかつて産屋が存在し、産後の女性が一定期間、労働免除される機能を果たしていたことを報告している。女性は自宅の納戸や土間で出産し、その後、産屋に移動するか、産屋で出 産しそのまま子どもと滞在し、近隣または産婦の母親が食事や身の回りの世話をしていた。出産は一人で産むもの(一人で産めないのは恥ずかしいこと)とされている場合もあれば、出産援助の経験豊富な近隣の女性が呼ばれる場合が多かった。地域によっては夫が協力し助産していた例も報告されている。
現代では当たり前の病院出産は、第二次世界大戦後、 GHQ の占領期の医療改革によって急速に進められたというのがこれまでの一般的理解であり、それ以前は前述のような医療の介入しない出産が大勢だったとされていた。しかし、東京や大阪といった大都 市に注目すると、西洋医学教育をうけた医師や産婆が病院や産院に常駐し、女性が施設に入院し出産することは戦前からおこなわれていた。そして重要なのは、これらの出産の施設化が大都市では貧困問題対策の一つとして開始されたことである。
それまで出産は自宅でするもの(実家ではなく婚家)と考えられていた時代に、衛生環境が整い専門家の常駐する施設に女性を収容することによって母子の生命を保証し、乳幼児死亡率を下げることをめざされた。当時の都市の家族にとっては出産時に夫婦だけで身の回りの世話をする人手もないため、入院出産は便利だ った。その結果、中間層の女性たちも利用するようになったのである。
同時期に赤ちゃん審査会または乳幼児審査会と呼ばれた事業が各地で開始され、医師が検診をおこない、優秀者を表彰する事業が日本各地に広がっていった。出産の施設化と赤ちゃんの健康表彰事業が同時期だったのは偶然ではない。いずれも「健康」や「衛生」を定着させ実践していくための方法だったのである。他方、同時期に東北農村地域では子どもを死なせないと生きていけない状況も存在していたことについても報告では述べる。
戸石七生(東京大学)
近世日本の子育てと家・村・親族―共同体は子育てをしていたか―
日本の子育てについては、現代社会との対比で伝統社会における共同体の役割の重要性がしばしば指摘されている。換言すれば、現代社会の子育てでは核家族の孤立による親の負担が強調されるのに対し、伝統社会では、家族は共同体に支えられており、子育てでは親にかかる負担は現代に比べて小さかったというある種の「神話」が存在している。
だが、伝統社会の典型とされる近世農村の子育てについて、村落共同体の役割を体系的に論じたものはない。前述の村落共同体による子育て像 は、家族の側から抽象的かつ肯定的に描かれてきた。これは、家族史研究と村落史研究が別々に行われてきた結果であると考えられる。しかし、近世日本の村落共同体が恒常的に子育てに関わっていたということを示した村落史研究はない。よって、村落共同体の子育てについて具体的に検討することなしに、共同体の役割の大きさを過度に強調するのは早計である。
本報告では、近世後半の関東農村における 2 歳~ 15 歳の子供の養育を取り上げ、家族の側からだけではなく、村落共同体の側からも事例を紹介・分析する。具体的には、親を失った子の養育を巡っ て家・村・親族という主体がどのように行動していたのかを詳細に観察する。親のない子の事例を見ることにより、子の養育の責任の所在はどこにあり、子供をめぐってどの主体がいかなる利害関心をもっていたのかを明らかにする。
日本の伝統社会において、村落共同体は子育てをしていたという「神話」は真実か否か。本報告はその問いの答えを明らかにするものである。
岡崎まゆみ(立正大学)
明治・大正期における婚外子の法的地位と「育て」の環境:「帝国日本」の家族政策をめぐって
戦前日本の植民地であった朝鮮半島では、いわゆる婚外子は次の3 パターンに分類、理解された。すなわち、実子の婚外子の場合には庶子、姦生子(私生子)、また実子以外では「棄児其ノ他父母ノ不明ナル幼児ヲ養育スル為其ノ家籍ニ入ル」収養子、である。当時の司法資料によれば、朝鮮半島の多くの地域・階層で宗族制にもとづく男系血統主義の家族制度が規範化されていたと推測され、多くの場合、婚外子も家の祭祀や財産の承継者としての地位をめぐって議論の対象とされた。たとえば庶子相続をめぐる訴訟記録を経年的にみると、(死後)養子に対する 庶子の立場が徐々に強まる傾向がみられる。ただしこのことは、庶子の法的地位自体が向上したというより、別文脈での法的要請を考慮する必要があるし、さらに一般社会の受け止め方として、庶子相続(とくに祭祀承継)が広く受容されえたとは言いがたい。むしろこれを忌避する風潮が根強く残っていた。こうした訴訟の判決傾向と一般社会の反応の間で、現実に庶子はいかなる環境、家との距離感のなかで「育て」られたか、嫡出子や(死後)養子の養育環境と比較する。
また、性質上記録が残りにくく少数例にとどまるが、姦生子をめぐる司法認識にも言及したい。男系血統主義的な家族制度が維持される限り、観念的には家から除外される存在であった姦生子に対し、 1920 年代以降に展開された「法の民衆化」の潮流が、社会問題として浮上した姦生子(とその母)であることで受ける現実的な不利益、「育て」の過程での法的・社会的ハードルにどのような反応を示したか、いくつか事例をみる。
最後に収養子について、子の実際上の処遇は多様であったと推測されるところ、当時の訴訟記録によれば、その子を家の労働力としたり、養育者が男性の場合は自己の祭祀者とする例があったようである。これも資料的制 限はあるが、収養子の養育背景には、逼迫した家計維持に奔走し、あるいは血統を維持しえない一部社会の“揺らぎ”がみてとれる。これらは例外的な事例であれ、一側面では、理想化された家族制度とそれに即応できない現実社会の臨界を示す事象と捉えることも可能だろう。
上記を通じて、本報告では婚外子の法的地位がいかに定置され、いわゆる家の存続との関係において、その子がいかなる目的・環境で「育て」られたか、明治・大正期の帝国日本という地理的な広がりのなかで、本国日本との対比を踏まえて考察する。
白井千晶(静岡大学)
昭和期の助産婦による養子仲介:助産婦の語りから
日本の昭和期に産婆・助産婦が仲介した養子について、本報告では中でも産婆・助産婦がどのように養子縁組の「確かさ」(養親、生親の安心、信頼)を高める実践をおこなっていたかをインタビュー調査をもとに分析する。
報告者はこれまで、産婆・助産婦が関わった養子仲介について同調査や資料をもとに分析してきた。産婆・助産婦は、自ら育てることができない生みの親、子どもを迎えたい養親希望者の橋渡しをして、個人で、あるいは産婆会や病院などの組織において、養親を生みの親として届け出るいわゆる「藁の上からの養子」や、法律的に届け出る養子縁組を実践してきたこと、またそのありようが浮かび上がっている。
本報告では、その仲介において、産婆・助産婦が双方の安心・信頼を高めるためにどのような実践をしたか分析したい。それを考察することによって 、養親と生親が互いに、あるいは子どもに対して何を求めていたか明らかにする一助になるだろう。
インタビューでは、親族間ではない養子仲介の場合、産婆・助産婦は、養親希望者と生みの親の間で、互いを保護し、養子仲介がうまくまとまるように仲立ちをしていることがわかった。
産婆・助産婦は、生みの親と養親希望者が誰であるか互いを知らせないことが少なくなかった。その理由としていくつか語られた。例えば、生みの親が人に知られたくない妊娠をしたこと、出産して養子として他者に託したことを知られたくないこと。生みの親が養親に金銭 を要求したり、養親の経済状況が悪くなって子どもを返したいと言ったり、トラブルが生じることを避けること。養親が養子であることを隠して産んだことにしたいと。ただし、とはいえ、親族や近隣など多くの人が公然の秘密として知っていたようである。
いわゆるリスク管理のために個人を特定できる情報を互いに伝えないとはいえ、事情やおおよその背景については、産婆・助産婦が双方に伝えたようだ。それは生みの親側にとっても、養親側にとっても、安心、確かさ、信頼を増すものだからである。 また、互いを知っていたほうが仲介が進む場合には 、伝えることもあったという。
こうした産婆・助産婦の実践は、まさにコミュニティにおける「ケースワーク」をソーシャルワーカーのようにおこなっていたことがわかるだろう。
※本報告はJSPS 科学研究費 10J40128 の成果の一部である。
姜恩和(目白大学)
韓国の危機的妊娠をした女性支援と養子縁組
韓国で養子縁組によって保護される子どもの大多数は未婚母の子どもである。長年間未婚母からの出生は子どもが要保護状態におかれる背景として扱われ、養子縁組のプロセスとしての元の親子関係の断ち切りについてはほとんど注目されてこなかった。それは未婚母に対する見方が、いわば子どもを「育てる」母親としてよりも、婚姻していない状態で「出産した」ことにフォーカスが当てられていたためである。本報告では、未婚母が「産みの親」にとどまらず「育ての親」へ移行できるようになった背景について、家族法改正および危機的妊娠をした女性支援の 2 点に絞って議論する。
家族法が改正される2005 年以前は、子どもは基本的に父親の戸籍に入るものという構造となっていた。明治民法の第 733 条「子ハ父ノ家ニ入ルヘキ 父ノ知レサル子ハ母ノ家ニ入ル 父母共ニ知レサル子ハ一家ヲ創立ス」という条文が、そのまま戦後の韓国の民法に引き継がれていたのである。未婚母の子どもは母家に入籍し母親の姓を名乗ることは、子どもが父親の姓を継ぐのが通常となっている中で非常に異質的なものとして受け止められ、スティグマとなるような状況であった。しかし、 2005 年 3 月の家族法改正により、戸主制 度や戸籍制度が廃止され 、個人を軸とした身分変動の記載になった。これは未婚母子で家庭をなすことの大きな障壁の解消を意味する。
また危機的妊娠をした女性支援については、 1990 年代までの支援は、もっぱら未婚母が子どもを養子縁組に託すまでの短期間の入所保護であった。しかし、 2000 年代入ってから自ら養育することへの支援が始まり、徐々に女性の自立支援も拡充されてきた。これには民間機関の実践、女性家族省の誕生、当事者運動などが影響している。韓国の少子化は世界的にもほかに例をみないほど進んでおり、今は未婚母への支援と いうカテゴリーではなく、すべての危機的妊娠をした女性支援への拡大が図られているところである。
藤間公太(国立社会保障・人口問題研究所)
「育て」の環境をめぐる政策の論理―「新しい社会的養育ビジョン」を事例に
「育て」の環境めぐる政策において、「家庭」は常に中心的な論点であり続けてきた。一方で、子育て支援をめぐる文脈においては、単位の小さな「家庭」における「育て」の限界が指摘され、保育の拡充、子育て広場の整備、「家庭教育支援」など、「育て」に関与するアクターを増やす形での支援の必要性が主張されている。 他方で、社会的養護をめぐる文脈においては、単位の大きな施設では子どものニーズを個別的に満たすことができないという前提に立ち、家庭養護推進、施設養護の小規模化など、「家庭」に近い小さな単位にその環境を改革していく必要性が主張されている。
先行研究においては、こうした政策をめぐる「家庭」の位置づけに対する批判も展開されてきた。たとえば、「家庭教育支援」に対しては、「育て」に対する第一義的責任を保護者におくことで国の責任を曖昧にしている(井上 2018 )、「家庭の教育力が低下している」という前提そのものが疑わし いうえ、国家が「善きもの」とする生き方に市民が従うように公権力が介入することが強化される危険がある(広田 2019 )、といった批判が教育社会学領域でなされている。社会的養護をめぐる議論において「家庭」が理想化されることについても、家族主 義や実施主義を強化するという批判や(野辺ほか 2016 )、「家庭」の機能を全面的に代替することが帰結する課題を指摘した上で、「家庭的か否か」という二項対立を相対化する必要性を主張する議論が(藤間 2017 )、家族社会学領域で展開されている。さらに近年では、子ども家庭福祉論の領 域において、家族社会学からの批判に一部反論しつつも、上述の二項対立を相対化する必要性については同意する議論も見られている(山縣・武石 2020)このように先行研究においては、「育て」をめぐる政策における「家庭」の位置づけに対する疑義が展開されてきたが、そうした政策が立脚する論理については、ごくわずかな例(野崎 2020 )を除いて詳細に検討されていない。本報告では、 2017 年の「新しい養育ビジョン」およびその前段の「新しい社会的養育の在り方に関する検討会」の議事録を対象に、主に代替養育政策をめぐる議論を中 心として、「家庭」が強調される論理を分析する。代替養育政策を分析の中心に据えるのは、「非家庭的」とみなされる実践をめぐる議論においてこそ、逆説的に 「家庭」をめぐる規範が鮮明に照射されると考えられるためである。
梅澤彩(熊本大学)
家族法における子の監護
日本においては、少子化が進む一方で、棄児・被虐待児等、施設養護や家庭養護を必要とする児童の数は増加していることから、平成 28 (2016 )年 5 月に成立した「児童福祉法等の一部を改正する法律」では、特別養子縁組制度の利用促進の在り方について検討し、必要な措置を講ずるものとするとされた。また、平成 29( 2017 )年に新たな社会的養育の在り方に関する検討会が公表した「新しい社会的養育ビジョン」では、代替養育を必要とする子の里親委託・養子縁組の推進が強調された。これを受けて改正された特別養子縁組制度(令和元年法律第 34 号)では、同制度の利用促進にむけて、縁組成立の手続、養子となる者の年齢の引上げ、養子となる者の実父母の同意等について大幅な変更がなされた。 他方、里親制度については、その利用促進が謳われるものの、里親が有する事実上の養育責任者(監護者)としての固有の権利義務等が曖昧であり、関係当事者(里子の実親・里親・里子)にとって利用しやすい制度とは言い難い状況にある。
子の健やかな成長にとって重要な役割を果たす大人との関係は、事実上も法律上も安定的に保護されることが望ましい。この点と関連して、最決令 3 ・ 3 ・ 29 民集 75 巻 3 号 952頁は、子の母の再婚後、子の事実上の監護者である祖母が、子の母とその再婚相手である父(子の養父)を相手方として、自らを子の監護者と する監護者の指定を求める審判において、最高裁判所として初めて、第三者(祖母)の申立権を否定した。子の養育につき、第一義的な責任はその父母にあるとしても、子の監護権を第三者(祖父母・里親等)に付与することは認められないので あろうか。
本報告では、家族法における子の監護について、監護権の意義と現状を判例・学説を通して整理したうえで、子の父母以外の第三者を監護者・監護権者とすることの意義とその可否について検討する。具体的には、①親権法(親権・監護権)の変遷を概観しながら、②監護および監護権の概念・法的性質等につい て整理した後、③子の監護をめぐる現状(とりわけ、父母による適切な養育が期待できない子の監護)について、これに関する判例・学説のいくつかを分析することにより、④子の監護権を第三者に付与することの意義とその可否、および根拠等について検討する。④では、社会的養護における子の親権と監護権の関係について、とりわけ、里親の監護権について検討する予定である。
【シンポジウム報告者】
梅津綾子(うめつあやこ):南山大学人類学研究所 非常勤研究員・文化人類学、アフリカ地域研究
柴田賢一(しばたけんいち):常葉大学保育学部 教授・西洋教育史
小谷眞男(こたにまさお) :お茶の水女子大学 基幹研究院 教授 ・イタリア法史
河合務(かわいつとむ):鳥取大学 地域学部 教授 ・ 教育史
大出春江(おおではるえ):大妻女子大学人間生活文化研究所 特別研究員・社会学
戸石七生(といしななみ):東京大学 准教授・近世日本村落史・家族史
岡崎まゆみ(おかざきまゆみ):立正大学法学部 准教授・日本・東アジア近代法史
白井千晶(しらいちあき):静岡大学 教授・家族社会学
姜恩和(かんうな ):目白大学人間学部 人間福祉学科 准教授・子ども家庭福祉
藤間公太(とうまこうた):国立社会保障・人口問題研究所 室長 ・ 社会学
梅澤彩(うめざわあや):熊本大学法学部 准教授 ・ 民法(家族法)
【指定討論者】
太田素子(おおたもとこ):和光大学 名誉教授
トビアス・バウアー(とびあす・ばうあー):熊本大学 文学部 准教授
【司会】
床谷文雄(とこたにふみお):奈良大学 文学部文化財学科 教授 ・民法、家族法
宇野文重(うのふみえ):尚絅大学現代文化学部 教授 ・ 日本近代法史