第1報告:「20世紀末の大学生における「性暴力」被害と健康」
小島宏(早稲田大学先端社会科学研究所・招聘研究員)
大沢真知子著『性暴力と男女不平等社会』(西日本出版社、2023年)には、NHK調査の量的分析や質的研究に基づいて性暴力被害を受けた女性が不眠症になりやすいと書かれている。以前、報告者が「日欧性行動・意識・価値観比較調査」(2000年)の個票データを分析した際に、14-18歳時に不眠症の男性の初交が早く、性的に活発なことを見出したので示した。そこで、男性でも性暴力被害を受けた場合に不眠症になりやすいのではないかと思い、大沢先生に直接、お尋ねしたところ、男性の被害者が少ないのでわからないとの回答であった。同調査には、性暴力に関連する設問が複数あるので、大学生の「性暴力」被害の健康との関連を男女別に個人レベルで探ることにした。当時の大学生は「草食化」の先頭となった世代であり、通時的にも共時的にも重要である。
具体的には、多変量解析(二項ロジット分析)の手法により、他の要因の効果を統制した上で㋐自分の意志に反した(性交に限らない)性的行為の経験、㋑12歳までの(当時の法定性交同意年齢の13歳を下回る)性的行為の経験が14-18歳の各種健康状態に統計的に有意な効果をもつかどうかについて検討した。その結果、男子学生で㋐の場合、夜尿があった可能性が高く、㋑の場合、重度の摂食障害があった可能性が高い。㋑の場合、重度の睡眠障害についても同様の傾向はあるものの、統計的に有意でない。女子学生で㋐の場合、BMIが低く(やせすぎ)、重度の睡眠障害があった可能性が高く、㋑の場合、夜尿があった可能性が高い。同様に、㋐と㋒15歳までの(現在の法定性交同意年齢の16歳を下回る)性的行為の経験についてもしたところ、男子学生で㋒の場合、重度の睡眠障害や聴覚または視覚障害があった可能性が高い。女子学生で㋐の場合、BMIが低く、重度の睡眠障害があった可能性が高い。したがって、男女で健康障害に対する㋐と㋑(または㋒)の効果が入れ替わる場合もあるようにもみえる。
第2報告:「愛知県・篠島における現代の「若者組」について:現代の三重県・答志島の若者組との比較」
白井千晶(静岡大学)、磯部美里(国際ファッション専門職大学)
本報告は、愛知県の篠島におけるいわゆる若者組の現在について、同じ伊勢湾の答志島のそれと比較しながら、その特徴を報告するものである。報告者らは養取研究会として、非血縁的親子と共同体の編成について共同研究をおこなっており、本報告、磯部報告、中谷報告は問題意識を共有している。
本報告でいう若者組とは、共同体における年齢階梯集団のうち、一般的には子ども組と青年組の間に位置する集団で、およそ15歳で若者組入りし、家族を形成して青年組に入るまでの期間を指す。
三重県の答志島には、現在も「若者宿」があり、その慣習が残るのは、現代日本社会では唯一、答志島だけだと言われている。答志島の若者宿は、若者が集団で寝起きするだけでなく、個人の家を宿とし、その人と親子の縁を結ぶ、擬制親子、仮親子制度でもある。答志島では若者は「寝屋子」、仮親は「寝屋親」と呼ばれている。
かつて、同じ湾、同じ漁業の愛知県日間賀島、篠島にも若者宿の慣習があったという資料に基づき、筆者らは日間賀島、篠島のかつての慣習の話者を訪ねて、現地調査を実施した。本報告では、篠島について報告する。
篠島では資料の通りかつて若者宿の慣習があったが、答志島との違いがみられた。答志島は個人宅を宿とし、寝屋親と親子関係を形成するのに対して、篠島では擬制親子関係の構築はあるが、少なくとも近年擬制親元での宿泊はなかった。擬制親子関係がある点、若者たちが朋輩という擬制きょうだいを形成する点は共通していた。
さらに、篠島において、若者組の成員は特定の組への所属の認識を持ち、周囲がそれを承認していることから、若者組が現在も存在することが確かめられただけではなく、「宿勘(ヤドカン)」という会計を持っていることがわかった。宿勘は、定期的に朋輩が支払い、冠婚葬祭の祝儀や香典、親元への接待などを支出する共通会計である。収入が高くなく所帯形成前でもある年齢の若者期間にこのような明確な経済的組織を持っていることが篠島では確認されたが、答志島では確認されなかった。篠島では宿泊を伴う形での若者宿の慣習は消失したが、こうした相互扶助的な若者組が地域社会の中で機能していることがわかった。
第3報告:「近現代エラブ社会における女性の行為主体性Agency of women in modern Erabu society」
中谷純江(鹿児島大学グローバルセンター)
鹿児島県沖永良部島の社会構造や親族システムの特徴に注目し、明治から昭和に生きた三世代のエラブ女性のライフヒストリーを事例に、女性が行為主体性を発揮する空間が、比較的大きく開かれていたことを論じる。
農村社会学では、日本の農村の基本構造として、長子単独相続にもとづく「イエ」を基本単位に、家々の連合からなる同族や組が結合して村落を構成すると捉えてきた。「イエ」は超世代的に継承されるもので、本家と分家との間の固定的かつ階層的な関係が重要な意味をもつ。一方、奄美の農村では、家族も直系を軸に超世代的に継承されるものとは捉えにくく、相続も均分相続に近い形が支配的である。家連合のタテの結びつきよりも、双系的ハロージのヨコの結びつきが社会生活において重要な意味を持っている。
沖永良部の支配階層に特徴的なのは、女性祭司(ノロ)と北山王の伝説をはじめ、薩摩の役人につながる一族の親族構造における女性の位置づけである。最も古い支配階層の宗家も、新しい薩摩系の名家においても、エラブ女性を始祖としている点が注目される。本土のイエ制度においては、正妻以外の女性は夫方本家からも、生家からも区別され、同じ墓に入ることはない。一方、エラブでは生家の近くに屋敷地を与えられ、母方親族の墓地(敷地)内に墓はつくられている。アングシャリ(島妻)の子は、母方交差イトコとの婚姻を行うことで母方親族の地位を高め、一族全体に経済的繁栄をもたらすことができる。以上のように、支配階層の形成に女性の果たす役割が非常に大きく、島には女子教育を歓迎する文化が根付いてきたと考えられる。明治期のエラブ女性たちが和歌や俳句を詠み、高い教養を身につけていたことが知られている。彼女たちを始祖とする支配階層から、役人だけでなく、医者や弁護士、教師などが多く輩出されてきた。
伝統的支配階層のK家の三世代の女性、明治10年生まれの祖母、大正12年生まれの母、そして昭和23年生まれの長女Mさんへのライフヒストリー調査により、祖母が一族の地位や血統への誇りを孫に伝えるのに大きな役割を果たしたこと、母親が子どのたち全員を大学へ行かせることに強い信念をもって働き続けたこと、そして、長女は、兄弟姉妹を支えるという長子(通常は長男)に期待される役割を果たすことに生き甲斐を感じていたことなど、エラブ女性たちが、一般的に「女性」に期待される以上の選択や決定を行うことができたこと、社会として女性の選択や決定が認められていたことが明らかになった。