【シンポジウム趣旨】
「高学歴移民女性の移住過程におけるワークとケアワーク」
賽漢卓娜(長崎大学)
近年の日本において、加速する少子高齢化に伴う労働力不足と経済的なグローバル化を背景に,留学生の受入れがさらに重視されるとともに,外国人の就労・定住に関する規制も大きく緩和されている。こうした背景の下で,日本は、高い技能レベルの移民に対しても積極的に受け入れを行ってきた。2012年に導入された高度人材ポイント制度(狭義的専門職移民)は代表的な例である。学歴や職歴、年収や日本語能力、職業に関する資格などの合計ポイントで決められる。しかし、日本は高度人材の獲得は困難である。理由として、賃金の相対的な低さ、昇進の低さなどと並んで、男女の不平等とワークライフバランスなどに加え、家族の生活や子どもの教育問題が指摘される(大石 2018)。
本企画は、日本で居住年数の長い、1960年代から1990年代の高学歴の中国人移民女性を対象として、ワークとケアワークに関連する問題に関し、年齢および地域間の差異に着目して調査している科学研究費プロジェクトの成果を踏まえたシンポジウム企画である。同科研プロジェクト*では、日本の大都市圏及び地方社会で、大卒及び大学院卒の既婚有子の移民女性を抽出し、ライフコースの聞き取り調査を進行中である。同調査は、ジェンダー研究と移民研究の視点から設計しており、社会的な自立と稼得役割の遂行というワークと、出産 ・育児等のケアワークにかかわる経験、母国と日本のジェンダー観念や社会的制限を受けながらの調整、そしてストラテジーに重点をおいている。日本在住の高学歴の中国人移民女性は、労働市場の慣行とジェンダー観念を受け、どのように対峙し、調整し、どのようにワークとケアワークを実施しているか。企画での各報告は、日中の社会背景を踏め、コーホートに応じて展開される。家族に関する多様な学問的立場の研究者の方々との対話を通して、家族・キャリアを捉える視角についての議論を深めたい。
※基盤研究(C)、課題番号:21K01879、研究年度: 2021~25年度、代表:賽漢卓娜
【報告1】「均衡と衝突:中国の高学歴女性のワーク・ケアワーク」
鄭 楊(中国・ハルビン師範大学東方言語文化学院)
中国の女性といえば、キャリアウーマンや、仕事と家庭を両立させる能力を持つ女性というイメージが一般的に浮かんでくる。しかし、中国婦女社会地位調査のデータによれば、1990年から2020年までの30年間で全国の女性就業率は90.5%から69.8%にまで、約20%減少している。また、結婚と生育に注目した中国民政局の統計によると、2013年の結婚登録者のうち「20~24歳」と「25~29歳」の割合はそれぞれ33.5%、35.2%だったのに対し、2021年にはそれぞれ18.6%、19.3%まで低下している。2020年の第7回人口センサスの結果からは、1990年代生まれの女性の終身未婚率が4.6%から9.0%に上昇することが予測されている(封婷、2023)。さらに、高学歴女性ほど晩婚や終身未婚の傾向が強いことが、中国社会において顕著になっている(金光照、翟振武、2023;王磊、2023)。
そこで、本報告では、高学歴女性が仕事と家庭を両立させる実態をより深く理解するために、マクロな視点とミクロな日常生活のレベルの両方からアプローチを試みる。具体的には、彼女たちがどのように自己調整を行い、新しい社会的役割に適応し、自己認識を形成しているのか、その過程と要因を明らかにすることを目的とする。この研究では、女性のライフコースを卒業、就職、結婚、出産といった直線的な時間軸で評価するだけでなく、「生物的時間軸」「社会的時間軸」「歴史的時間軸」という複数の時間軸を用いて、転換期に生きる中国の高学歴女性の人生をより現実的に描き出す。
さらに、1950~80年代の計画経済期における「男女平等」「脱性別化」「主婦は寄生虫」といった性別役割規範から、1980~2000年代の市場経済期の「男は仕事、女は家庭」「良妻賢母」「母親役割は天職」といった性別役割意識、そして2000年代のグローバル市場経済期に登場した「子ども至上主義」「スーパーママ」「女性の自己価値」といった新たな性別規範の中で、高学歴女性がどのようにこれらの相反する規範に葛藤しながら適応してきたかを解明することを目指す。
【報告2】「1980年代~1990年代の中国人留学生の日本でのキャリアについて」
松下奈美子(鈴鹿大学)
外国人留学生の獲得は多くの先進国の重要な政策として位置づけられている。現在日本でも、いかにして優秀な留学生を自国に獲得するかという、受け入れ、獲得政策の視点からの議論が盛んである。
日本に来る外国人留学生を国籍別にみると、留学生総数でも、全体の構成比率でみても1990年代以降中国が一貫して首位である。しかし、この30年間で来日する中国人留学生の様相は変化したと言える。中国での教育熱の高まりとともに、近年は、中国で高校を卒業すると同時に日本の大学や日本語学校に進学する留学生だけでなく、高校在学中から日本の高校に留学する生徒の増加も報道されている。こうした最近の現状は中国人留学生の若年化と、比較的若い親が、子どもの海外留学費用を工面できることを示している。これは30年前とは大きく異なる点である。
1980年代~1990年代には北京、上海、福建、東北三省を中心に、日本に留学する中国人留学生が急増する時期だが、その中でも1980年代前半は中国の各地域の名門大学から選抜された公費留学生や大学、政府研究機関から派遣された客員研究員が多かったとされる(宋, 2014)。中国政府は、できるだけ短期間で中国に帰国して留学での成果を中国の発展に役立てることを望んでいたため、4年間滞在する必要のある留学生よりも、半年から1年で帰国できる人材を送り出していた。しかし、留学生や派遣研究員の多くは海外での長期滞在を望んでおり、留学生の帰国率は低かったと宋は指摘する。
20代中盤から30代前半で日本に留学した人の中には、夫婦で留学生として日本に来たケースや、日本で留学生として出会い、結婚したというケースも少なくない。日本で家族を形成しながら学位を取得し、日本でそのまま就職したパターンや、ある時点で中国帰国したパターンなどをいくつか比較する。
※宋 伍強(2014)「1980年代以降日本における中国人新移民について」
【報告3】「国籍や性別による在日外国人の家族形成状況の違い」
李 雯雯(立教大学)
本報告は、在日外国人に最も高い割合を占める中国人、韓国人・朝鮮人、フィリピン人、ブラジル人に着目し、これらの国籍を持つ移住者たちの家族形成状況を確認し、国籍間の違いについて解明した。日本は移民の受け入れに慎重な国だということが広く指摘されており、このような態勢の中で、体系化された受け入れ制度が形成されておらず、その時々のニーズに呼応した諸制度が部分的に接合しつつ、キメラのようなシステムをなしているとされる(永吉 2024)。それぞれ異なるツールで、異なる国から日本に移住してきた外国人が、日本という異国の社会でどのように生活を展開しているのか、とりわけその家族形成状況はどういった特徴を表すのかは、日本社会における移民統合を考える上で検討すべき点だと思われる。本報告は、中国、韓国・朝鮮、フィリピン、ブラジルの国籍を持つ移住者に絞って、国籍間・男女間およびコーホート間の違いにフォーカスしつつ、これらの移住者の家族形成状況の特徴について調べた。分析に用いるデータは「外国籍者の仕事と生活に関する市民調査」の個表データであり、多項ロジステック回帰分析を行った。
分析の結果、在日外国人の家族形成状況(有配偶か、未婚か、離死別か)はその国籍によって、異なる様子を表している。また、同じ国籍者でも、男女間や異なる年代層に、異なる傾向が現れている。例えば、中国やフィリピン籍者において、1980年代以降生まれの年代層の有配偶率が著しく低下する一方、韓国・朝鮮やブラジル籍者においては、その傾向(30代の未婚化)が比較的緩やかである。中国やフィリピン籍者の晩婚化が一層進んでいることが示唆されている。また、特に韓国籍者において、女性が有意に男性より離死別を経験しやすい(図1)。これらの国籍差や男女差は、日本の各国移民に対する受け入れ政策とその受け入れの歴史的文脈に大きく関わると考えられる。
【報告4】「在日高学歴中国人移民女性のキャリア形成の困難:1960年代・1970年代生まれの世代中心に」 賽漢卓娜(長崎大学)
本報告では、日本社会に長期にわたり居住している高学歴の中国人移民女性は、正規雇用での就業率が低い原因を解明する。本報告は、日本地方都市在住(九州、関西、中部)の1960年代~1980年代生まれの、日本人男性もしくは中国人男性と結婚している中国人女性35名を対象に半構造化インタビュー調査を実施した。いずれの女性も日本社会で子育てを経験した。
女性の就業の変化は階層差を伴なって進行し、多くの国では子どもを持つ女性は学歴が高いほど就業率も高いという正の関係が認められる。日本では、既婚女性の就業率は学歴と必ずしも明確な正の関連を示さないと報告されてきた。移民女性は、日本人女性と類似した局面を迎えることもあれば、トランスナショナルに移動するゆえに特有な趨勢もある。本報告では、インターセクショナリティを分析視角とし、高学歴中国人女性の「キャリア形成」をめぐる交差する抑圧構造を分析することを試みる。
中国においては、1999年からの高等教育の学生拡大募集により、1980年代の大学入学率の1.3%前後から、2020年には高等教育機関の粗入学率が54.4%まで達した。1998年までの大学入学者とそれ以降と比較すれば,高等教育のエリート段階から徐々に大衆化段階にシフトすると言えよう。本報告が着目する1960年代、1970年代コーホートは、中国においてまさに「エリート段階」に属す階層である。
結果として、現段階では次のことは明らかになった。①高学歴移民女性にはホスト社会で「良きヨメ」「周辺労働力」の性別役割分業を押し付ける家父長制/労働市場が存在しうるため、本来の能力・技能よりも低く扱われる傾向がある。②高学歴の移民女性はホスト社会の女性以上にさまざまな節目で起こる「パイプラインの漏れ」を経験する。社会構造の側の交差によって、マイノリティ女性はハイプラインすら入らず早々と周縁化される。③単に企業勤務を前提とする終身雇用制度の中で、キャリア志向の高い移民高学歴女性の人生設計を受け入れる多様性が求められている。
【報告5】「高学歴子育て女性のキャリア:1980年代~1990年代生まれを中心に」
孫 詩彧(国際日本文化研究センター)
本報告では、日本で生活する高い学歴を持ちながら小さい子どもを育てている中国人の女性たちが、自分のキャリアをいかに形成していくのかを、夫との権力関係を手がかりに解明する。なお本報告でいうキャリアは、職業に限らず学業や家族生活などの人生計画も含め、「自己実現のための営み」として広義的にとらえている。
研究は日本の大都市(首都圏,札幌,仙台,名古屋,京都,大阪,福岡など)で暮らす、夫妻とも中国人の家族を対象に半構造化インタビュー調査を実施した。いずれの家庭も小学校低学年までの子どもがおり、日本に定住する祖父母等の親族から家事育児の協力を得られていない。調査は2023年の6月から1年間をかけて実施し、報告ではうちの16ケースを用いる。分析はMAXQDA 24を使い、女性たちのキャリアに関する移行経路をTEM(伏線経路・等至性モデル)図で整理した。
結果として、次のことが明らかになった。(1)キャリア形成は動態的なプロセスで、夫妻間の交渉や現実的な状況に合わせて調整される。にもかかわらず調整の結果、(2)女性はその夫よりも頻繁にキャリアを修正し、中断を経験することから、女性のキャリアは夫や家族のための調整弁として機能する場合が多い。ただし(3)「異国」(母国の伝統と離れ)の「大都市」(たくさんのキャリアチャンスに恵まれ)で暮らす「外国人」(日本の規範とも距離を置きやすい)の立場は、キャリア形成を志望する女性たちに新たな可能性を与えている。
本報告が着目する80年代、90年代のより若い出生コーホートの女性たちは、その「先輩」の中国人移民女性よりも高い学歴や専門能力を身につけて来日し、初期段階から夫に依存する結婚生活よりも個人の進学や就労に力点を置いたキャリア形成を目標にしている。こうしたキャリアの志向と能力の高さは、一方では調整弁として好都合で、やがて己のキャリアより「家族にとっての最善」に置き換えて使われてしまう。もう一方では、あえて従来と異なる夫婦のジェンダー関係を構築しようとする女性が、夫からの承認と実質的な協力を得ることで、自分自身ならびに家庭全体のキャリア形成を主導することも実現可能になった。
【報告6】「在日1980年代生まれの中国人家族の育児支援利用に関する分析」
田 嫄(中国・山東師範大学)
本報告は、日本社会において中国人移民家族が直面する育児支援の課題を浮き彫りにし、特に移民家庭の育児ニーズに応じた社会的支援の改善が求められることを示唆している。日本の少子化対策や育児支援政策は1994年の「エンゼルプラン」以降進展してきたが、外国人移民への支援は充実しているとは言えない。本報告では、東京などの都市圏に居住し、就業経験があり、移民同士で結婚した80後の中国人女性を研究対象とした。そして、中国人移民家族が直面する育児の困難を、「情報的支援」「道具的支援」「情緒的支援」「評価的支援」の4つに分類して分析している。
まず、情報的支援では、行政や地域社会からの情報へのアクセスが限定されており、情報の偏りが指摘されている。しかし、IT技術の発展により、WeChatグループなどを通じた情報共有が盛んになっている。次に、道具的支援においては、保育所の利用や医療サービスの適合性に課題があり、特に非正規雇用者や単独で育児を行う母親にとっては、支援が不十分であることが明らかにされた。また、コロナ禍により祖父母のサポートが制限され、行政による家事支援サービスや産後ケア施設が重要な役割を果たしている。さらに、情緒的支援では、育児に対する不安や孤立感が強く、WeChatなどのオンラインコミュニティが精神的支援の場として機能している。評価的支援の不足も大きな課題であり、配偶者や親族からの理解不足が育児者の負担を増加させる要因となっている。最後ではコロナ前後の育児スタイルを検討し、中国人移民家族の育児支援利用形態を「外部サポート・祖父母支援併用型」「外部資源活用型」「祖父母資源活用型」の3つに分類した。コロナ禍を経験することで、外部サポートやITを介した支援の利用が増加し、育児スタイルが変化したことを示している。
育児支援が移民女性たちの「ワーク」に与える影響について、育児支援を受けることで仕事復帰が可能になるケースがある一方、保育所の入所困難や文化的・言語的な壁によって、職場復帰が遅れる、または疎外される事例も確認された。また、正規雇用の女性は支援を活用しやすい一方で、非正規雇用の女性は育児と仕事の両立が困難になる傾向が強調されている。総じて、情報格差の是正や文化的背景を考慮した支援策の必要性が強調され、移民家族の多様なニーズに応える社会的支援の拡充が求められている。
【報告7】「高学歴移民女性の産後うつのオートエスノグラフィー」
劉 楠(山梨英和大学)
コロナ禍における外出制限と家庭外の育児サポートの喪失による「産後うつが倍になった」と報道された.出産・育児を経験した女性の約 3割(28.7%)が産後うつ状態にあり,コロナ禍以前の割合(14.4%)の2倍になった(Tsuno K.et al. 2022).うつ病は抑うつ気分(憂うつ,悲哀,寂しさ)を主軸にして他の関連症状(精神的不安,入眠障害,消化系症状,体重減少,自殺など)を呈する症候群である(北村2020:31).精神疾患はDSM―IVの多軸診断によるものであり,なかには「心理社会的と環境的な問題」の記載が必須となる.すなわち,疾患の発症は自然発生的に見られるのではなく,ストレスによって起因されている(北村2020: 17).例えば,人生の不幸な出来事,家族または他の対人関係上のストレスと社会援助または人的資源の不足などがストレスに該当する.
本報告では,オートエスノグラフィーという研究手法を用いて,コロナ禍の出産を経験した正規雇用している高学歴移民女性の事例を通して,産後うつを患う社会背景や家族の状況を分析し,とりわけソーシャルネットワークと帰着点に焦点を絞って考察していく.
本報告の事例は,外国人妻の伴侶である日本人の夫が単身赴任であり,育児サポートができる親族が近所におらず,労働参加・家庭の仕事は妻が担う核家族であった.妻が家事育児・仕事をメインで担ったまま,さらに2人目の出産が行われた.ここで,女性は労働参加している「一人の社会人」から「産婦・さらに世話役割を主とする主婦」への役割転換で不適応により行動が先鋭化した.一方で,長男と新生児の世話といった家庭労働もまた不視化されてしまった.社会全体の家父長制的構造,男性中心文化を破壊することなく,女性の頑張りのみで「出産・子育てをしていこう」とした.その結果として,女性に多くの義務と感じさせる負担を与えた一方で,育児のプレッシャーに押しつぶされて産後うつにかかる状況を生み出したと考えられる.日本人女性と通じ合う部分が多いが,日本で暮らす高学歴移民女性としての,配偶者の単身赴任という物理的な距離による孤育て,親族が遠方という育児ネットワークの脆弱さに着目して移民女性の精神疾患のパーソナル・リカバリー(当事者自身が主体的になること)の議論を深めたい.
【シンポジウム報告者】
鄭 楊(てい よう):中国ハルビン師範大学東方言語文化学院教授 家族社会学
松下 奈美子(まつした なみこ):鈴鹿大学国際地域学部教授 国際労働移動
李 ウェンウェン(り うぇんうぇん):立教大学社会学部助教 家族社会学
孫 詩彧(そん しいく):国際日本文化研究センター助教 家族社会学・ジェンダー研究
田 嫄(でん げん):中国山東師範大学 家族社会、地域研究
劉 楠(りゅうなん):山梨英和大学専任講師 家族社会学
賽漢卓娜(さいはんじゅな):長崎大学多文化社会学教授 移民研究・家族社会学
【討論者】
平井 晶子(ひらい しょうこ):神戸大学大学院人文学研究科教授 歴史人口学・家族社会学
李善姫(イ・ソンヒ):東北大学講師 ジェンダー人類学/災害人類学/移民研究
【司会】
賽漢卓娜(さいはんじゅな):長崎大学多文化社会学部教授 移民研究、家族社会学