2015年 比較家族史学会第57回研究大会プログラム (2)

スウェーデン農民層の農場継承と「家」
――18-20世紀における「家族農場」の成立過程――

佐藤睦朗(神奈川大学)

20世紀初めに、スウェーデンの統計学者で、後に保守的な農民政党の政治家としても活躍したニルス・ヴォリーン(Nils Wohlin)は、移民委員会の調査報告のなかで、大量の海外移民(19世紀半ばから20世紀前半にかけて、人口の約1/5が海外移民としてスウェーデンから流出した)、都市化、土地市場の発展により、家族で代々農場の相続を行う慣習が放棄され、それがスウェーデン農民層を危機的な状況に貶めているという見解を述べている。このヴォリーンの見解は、当時広く受け入れられたものであった。
だが、その後の農村史・農業史研究の蓄積により、現在では疑問視されている。例えば、1994年に刊行された、ウッラ・ロセーン(Ulla Rosen)の『世襲地と商品-クムラ(Kumla)教区での土地所有移転:1780-1880年-』によると、土地取引のうち、親族間は全体の3割程度で、非親族間での農場移転が67%を占めていた。また、2007年に発表された、ソフィア・ホルムルンド(Sofia Holmlund))の『我々が相続した土地-ウップランド地方の農村における土地相続と家族戦略:1810-1930年-』では、1930年のセストゥーナ(Estuna)教区における農場のうち、1810年以来同じ親族内で所有権が継承されたのは、全体の22%であったことが明らかにされている。これら2つの実証研究では、親族間での取引量がやや過小評価されているという問題点はあるものの、少なくともヴォリーンの想定とは異なり、19世紀の早い段階で非親族間での土地取引が広汎に行われていたとみて大過はないであろう。
一方、20世紀を対象とした研究では、これとは異なる史実が紹介されている。イレーネ・A.フリーガレ(Irene A Flygare)の『世代と継続性―20世紀スウェーデンの2つの平野部での家族農場―』(1999年刊行)では、非親族間での農場取引は稀であり、家族間での農場の相続が一般的であることが解明されている。また、2001年刊行のマッツ・モレル(Mats Morell)著『工業化社会における農業:1870-1945年』でも、20世紀前半にむしろ家族間での農場継承が増加する傾向がみられたことが指摘されている。
こうした異なる研究動向の整合的な説明を試みたのが、2013年に発表されたマッティン・ダックリング(Martin Dackling)の『家族農場の形成―スカラボリ県での土地と市場:1845-1945年―』である。スウェーデン西部の3教区を対象とした同書によると、親族間での売買ないしは相続が農場取引全体に占める割合は、19世紀半ばには40%ほどだったが、その後増加して、20世紀半ばには70%を占めるまでに至った。しかも、親族間での農場継承時の取引価格と通常の土地市場価格の差異は、19世紀には小さかったのに対して、20世紀に入ると前者は後者よりも3 割ほど安い価格となっていたのである。こうしたことから、スウェーデンにおける家族農場は、ヴォリーンが想定したように20 世紀初めに解体したのではなく、むしろ工業化や市場経済化が進展した20 世紀にはいってから本格的に形成されたものであった、というのがダックリングの結論である。この新しい研究により、18-19 世紀と20 世紀の間での研究史上の分断が解消され、長期的および総合的な視点からの家族農場形成に関する考察が可能となった。
それでは、家族農場が19 世紀末までは広範には形成されず、20 世紀に入ってから成立したのは、どのような要因によるものであろうか。これについて、主に次の二点を指摘することができよう。一点目は、19 世紀末までの人口増加に伴う零細農場や小農場を中心に土地市場取引の増大、および20 世紀にはいってからの農業人口減少による土地市場の縮小である。スウェーデンでは、18 世紀から19 世紀にかけて人口増加が進展する (1750 年:約178万人→1850 年:約348 万人→1900 年:約514 万人) する一方、開墾や農場分割などによる農場数の増加はその伸び率を下回ったことから、農村下層民が増加するとともに、零細農場や小農場の需要が高まった。この零細農場や小農場の活発な取引は、非親族間となるケースが多く、家族農場の形成を阻害した。だが、20 世紀にはいると農業以外の労働需要が拡大するなかで零細農場や小農場の需要は減少し、容易に家族間で継承されるようになった。さらに、スウェーデン政府が農業以外の目的への農地利用を防ぐために、1921 年以降、とりわけ1940 年代に、農家の親子間での農場移転を優遇する政策を行ったことから、小農層の間でも家族農場の形成が促進されたと考えられる。
もう一点は、18-19 世紀の農業革命を通じた農場のあり方自体の変容である。スウェーデンでは、地域差はあるものの、18 世紀半ば以降から19 世紀にかけて、三次にわたる土地整理(エンクロージャー)を通じて、農村での共同耕作や共同放牧が順次解消された。この土地整理によって最終的に一農場の農地が1~2 筆に集約される以前は、特定の農場の所有権を移転することは必ずしも重視されず、場所は固定せずに一定の分量の農地をいかに確保・継承していくかが重要な課題であった。このため、一部の上層農民を除けば、特定の農場を世代間で継承する誘因は作用しなかった。この点は、19 世紀前半までのスウェーデン農民層の地理的流動性の高さからも窺い知ることができる。だが、土地整理後は、屋敷地と1~2筆の農地(耕地や放牧地)の対応が固定され、特定の農場を家族間で継承することへの誘因が高まったことは間違いないであろう。19 世紀半ば以降、中農場や大農場での親族間移転が増加傾向にあった背景としては、このような農業革命を通じた村落や農場の変容との関係がったと考えられる。