第10報告 「韓国・台湾の人口政策」
鈴木 透(国立社会保障・人口問題研究所)
朝鮮と台湾は1945年まで日本の統治下にあり、文化統治から皇民化政策へ、農業重視から軍需工業化へという日本当局の方針転換の影響を共通して受けた。死亡率の低下により、いずれも日本本国を上回る人口増加率を示した。大韓民国が独立し、中華民国政府が台湾へ撤収して後は、開発独裁による経済成長を達成し、1970年代にはアジアNIEsとしてその経済的成功が注目された。この間独裁政権による弾圧への抵抗が続いたが、1987年に同時に民主化した。出生率は経済発展と政府の強力な家族計画プログラムによって低下し、1980年代前半には置換水準に達した。1990年代には日本より高い水準で推移したが、2000年以後急激な低下を示し、合計出生率で1.3を下回る世界最低水準まで低下した。このため2030年代には人口減少に転じ、2060年代には日本を追い越して世界最高水準の高齢化を現出すると予想されている。都市化は韓国の方が急激だが、ソウル・台北とも1990年代に人口減少を示し、郊外化が顕著になった。このように韓国・台湾の近代化とポスト近代化はあたかも同じタイムテーブルに従ったかのようで、多くの同時性を指摘できる。
韓国・台湾とも高い人口増加率が経済発展を妨害するという認識に立ち、1960年代に家族計画プログラムを導入した。KAP調査、小家族キャンペーン、家庭訪問を通じた避妊具の供給等が反覆され、避妊実行率は上昇した。1980年代前半に置換水準に到達しても、過去の増加モメンタムにより人口増加率は1%を上回っていた。このためしばらく政府の家族計画プログラムは維持されたが、人口増加率の低下やカイロ国際人口開発会議(1994年)の影響を受け、両国とも1990年代半ばには出征促進策を放棄した。しかし1990年代末には日本が出生促進策へ転じた水準(合計出生率で1.57)に達していたにもかかわらず、出生促進策の採択は遅れた。日本より高い人口密度による人口過剰感や、人口爆発への恐怖を煽った家族計画キャンペーンの余波で、出生促進策への抵抗感が強かったためと思われる。それでも2000年代に1.3を下回る世界最低水準の出生率が現出すると、出生促進策の採択は待ったなしの状態になった。韓国は台湾よりも熱心で、保育サービスの拡充、両立支援策から経済的支援策まで幅広く制度整備を進めている。それでも韓国の合計出生率は2017年に1.05と最低値を更新し、台湾に至っては2010年に0.895という信じ難い低出生率を記録している。
韓国の圧縮的都市化は激甚で、2015年時点で人口の49.5%が首都圏(ソウル特別市、仁川広域市、京畿道)に居住している。盧武鉉政権下で首都機能移転が決定され、2012年に世宗特別自治市が発足し多くの政府機関が移転した。台湾は1992年、韓国は2004年から外国人雇用許可制度を運営している。国際結婚のピークは台湾は2003年、韓国は2005年だったが、悪質なブローカーによる人身売買に近い斡旋が社会問題となり、取締りが強化された。