守泉理恵「近年における『人口政策』:1990年代以降の家族の変容と少子化対策の展開」

第9報告 「近年における『人口政策』:1990年代以降の家族の変容と少子化対策の展開」

守泉 理恵(国立社会保障・人口問題研究所)

戦後の日本の出生動向は、戦後すぐのベビーブームとその後の置換水準に至る出生率急落期(~1950年代半ば)、置換水準近傍での出生率安定期(1950年代末葉~1970年代初頭)、置換水準以下への長期的な低下期(1974~2005年)を経て、2006年以降は小幅ではあるが出生率の反転上昇(2006~)がみられている。出生率は、社会経済や家族形成の変容を反映して変動する。1980年代までに、公私の場にわたる性別役割分業と緊密に結びついた日本型雇用システムのもとで経済成長を成功させてきた日本では、家庭において女性の主婦化が進み、また主婦の就業を抑制するような政策(年金の3号制度や配偶者控除制度など)も次々に打たれてきた。それと同時に、1970年代半ば以降、おもに未婚化・晩婚化という結婚行動の変化により出生率は低下を続けていた。
こうした流れの中、1990年には「1.57ショック」が起こり、日本社会において「少子化」という問題が注目を集め、政府も総合的な対策に取り組み始めた。本報告では、1990年代以降に焦点を当て、家族の変容と少子化対策の展開について考察する。
1990年代以降は、経済のグローバル化、新自由主義の広がりのもと、女性の高学歴化・社会進出がすすむ一方で、雇用が不安定化して、とりわけ若年層の非正規雇用化が進展した。その結果、全体的に若年層の収入が目減りするとともに格差も拡大し、80年代まで一般的であった性別役割分業に基づく近代家族を形成・維持できない人々が大量に出現した。また、日本型雇用システムはワーク・ファミリー・コンフリクトを激化させた。これらの若年層の経済的基盤の弱化や、日本社会の働き方と家庭生活(とりわけ子育て)との両立困難は、1990年代・2000年代を通じて「少子化の主原因」としてクローズアップされ、日本の少子化対策の柱となっていった。また、2000年代以降は、離婚の増加に伴って増えてきたひとり親家庭対策、児童虐待対策、不妊治療支援など新しい分野の施策も加わっていった。
2010年代に入ると、子ども・子育て支援新制度の施行により保育サービスの充実と財政支援の強化が行われた。まち・ひと・しごと創生法に基づく長期ビジョンやニッポン一億総活躍プランの策定などにおいても少子化対策は柱のひとつであり、日本の国政において重要な政策課題とされるようになった。
1990年代以降の家族のあり方の変化は少子化とも関連が深く、そこから広がった様々な問題に対処する形で少子化対策の施策分野・メニューは拡充されてきたといえる。少子化は、人々の価値観や生き方が多様化する中で複合的な要因により進んできた現象である。そのため政策効果の見極めは非常に難しいが、少子化対策に含まれる施策には「暮らしやすさ」を改善するものが多く、これらの安定的・継続的な施策実行が、長期的に見て結婚・出生行動に影響を与え、少子化の流れを変えるのではないかと考えられる。