増田研「アフリカの高齢者ケアをめぐる『3つの神話』を問い直す」

第11報告「アフリカの高齢者ケアをめぐる『3つの神話』を問い直す
                    ―社会福祉と親族研究の接続領域から―」
                               増田研(長崎大学)

サブサハラアフリカにおける未来の少子高齢化
 2000年代以降の経済、教育、医療の分野における急激な変化は、サブサハラアフリカにおいて栄養状態の改善、乳幼児死亡の減少と急激な人口増加をもたらした。このことは平均寿命の延伸をもたらし、社会全体の長寿化傾向とも相まって、近年では高祖父母から玄孫までの5世代が同時に生きる時代になりつつある。つまり世代を論じるときに祖父母から孫までの3世代をカバーすれば済む時代ではなくなってきている。
 アフリカでも今後は少子化が進むことが確実視されており、今世紀後半のアフリカは次第に少子高齢化に向かうと予測されている。そうした未来を見越した長期介護システムの構築がしだいに関心を集めるようになっているが、現状では公的な介護システムも「アフリカ伝統の家族ケア」を前提としている。そうした点で、まず必要で、かつ、あまり取り組まれていないのは、家族像と世代関係の変化の兆しを読み取ることである。
 このように激変する社会環境において、公衆衛生とケアおよび社会福祉が焦点化される状況が、かつての人類学的な社会構造理解とどのように接続可能であるかどうかを考えることが本発表の目的である。

高齢者をめぐる3つの神話
 アフリカにおけるケアの世代間関係を正確に捉えることは難しい。生業の多様化や都市への人口流入による世帯構成の変化が進行したことで、かつてのような定常的な農村や牧畜村を想定することが難しくなっている。また、ひとつの国家においても、牧畜民と都市スラム居住者とでは、生活環境が違いすぎて共通の土台で論じることはほぼ不可能だ。合計特殊出生率だけを取り上げても、たとえばケニアの首都ナイロビでは2.7と低いが、周辺部の牧畜民地域では7と「高止まり」している。
 アフリカの高齢者をめぐって主として人類学の分野では「高齢者には権威があり、人々から尊敬されている」という「強き老人」像、福祉や医療の分野では「高齢者は生活に困窮しており、脆弱性が高い」という「弱き老人」像が提出されてきた。いずれも正しい見解であり相互に矛盾しないが、そのステレオタイプの罠にかかることで変化するアフリカ社会の姿を捉え損ねるリスクがある。
 他方、高齢者ケアをめぐっては家族による生活ケアが強固であるとする「家族ケア」を重視する価値観も根強い。だが、アフリカ老年学研究を牽引するアボダリン(Aboderin)によれば、ガーナにおける高齢者ケアにおいては、次第に親孝行の規範が希薄化しているという。その理由としてアボダリンが指摘するのは老親よりも子どもへの資源投入を優先する傾向が強まってきたことと、老親に対するケアがかつてのような「一方的な贈与」から互酬的なものへと変化してきたことがあるという。他方で、こうした規範の希薄化にもかかわらず(あるいは「だからこそ」)、「親孝行」規範は強固に残る、ともいえる。
 アフリカにおける老年学研究は、社会の近代化による「家族ケア」の弱体化を指摘し続けてきたが、そもそもアフリカにおける家族ケアは神話化されてきたきらいがあり、その神話の再検討は必要である。

マクロとミクロにおける世代間関係の動態
 人類学的なアプローチでは、親族呼称の把握や、権利と義務の行使をめぐる規範のあり方を記述する民族誌的な世代間関係理解が進められてきた。こうしたアプローチは決して固定的で静的な社会像を提出するものではなく、むしろ、そうした規範に依拠しつつも、その場の状況に応じて柔軟に、そして戦略的に生存の方途を探るアプローチが取られてきたといってもよい。
 本発表で検討対象とするのは、エチオピア南部における農牧民社会バンナ(Banna)である。ここは2000年代半ばまで初等教育が普及しなかったこともあり、いわゆる伝統的な生活様式が存続してきた場所である。男系クランとリネージによって組織されているという点で典型的な東アフリカの社会構造をもつと言えるが、他方で、近年では一夫多妻の実践が減少し、若者のあいだにも少子化志向が芽生えるなど、家族をめぐる価値観が転換しつつあるといえる。
 社会開発をめぐるグローバルな取り組みが進行し、国家による開発圧力がますます強まる状況においては、公的な社会福祉というマクロ・レベルにおける倫理観の枠組みが形成されつつある。他方で、在来の社会構造と世代間関係をめぐるミクロ・レベルでは世代間関係の価値観とスタイルもまた徐々に変わりつつある。そうした、つねに動態のなかにあるマクロとミクロがどのように接合しうるのかという点を、社会福祉と社会構造の接続領域の探求というアプローチによって腑分けし、神話的言説に足をすくわれない議論をすることが必要であろう。