2016年シンポジウム第2部報告要旨2

現代イタリア社会における結婚の意味

宇田川妙子(国立民族学博物館)

イタリアでは 1990 年代まで、結婚していない同居カップル(以下、同居)の割合は他のヨー ロッパ諸国に比べると非常に低かった。しばしば、イタリアはカトリックの教えが根強いため、同居は文化的に浸透しにくいとも言われてきた。しかし 2000 年以降、急激に同居が増え(1993 年 22,7 万組で全カップルの 1,6%→2013 年約 100 万組で 5,9%)、それにともなって婚外出産も 急激に伸びてきており、同居がカップルのあり方の一つとして定着しつつある。この変化の理由は何なのか、また、この変化はただ遅いというだけで、他のヨーロッパ諸国と質的な違いはないのだろうか。
変化と現状
本発表では、こうしたイタリアの結婚をめぐる変容とその背景をさぐることによって、そもそも結婚とは何なのか(何だったのか)という 問題を考える糸口をつかみたい。なお本発表では、発表者が約30 年前から断続的に文化人類学的調査を 行っているローマ近郊の町(以降、R町)で収集した資料のほか、近年の社会学・人口学の研究業績等を用いる。
R町でもここ 30 年間、同居を選択するカップルが増えていることは、ある家族の世代別の資 料からもよく分かるが、その変化は法制度にも見て取れる。

そもそもイタリアでは、離婚が合法化されたのは 1970  年のことで、結婚に対しては長い間きわめて厳格な姿勢が取られていた。離婚合法化の際も、離婚の前には 5 年間の法定別居が義務付 けられ、それぞれ煩雑な手続きや裁判が必要とされた。こうした姿勢は、結婚を秘跡として位置づけ、離婚を認めていないカトリック教による影響が大きい。結婚式も、当時は教会で行われる 教会婚が圧倒的に多かった。しかし 1987 年には法定別居期間が 3 年に短縮され、2015 年には 1年(両者の合意があれば半年)になった。また、今年 5 月には同性間のシビル・ユニオンが法制 化され、異性間の同居にかんしても(国のレベルでは法制化されていないが)自治体によっては認可され、互いの権利が保障されつつある。

さらにイタリアでは、離婚の増加、晩婚化・未婚化、世俗婚の増加など、結婚のあり方全体が 近年大きく変わってきたことにも注意しておきたい。一個人の人生に注目してみても、これまではほとんどが結婚→出産という流れだったのに対して、そこに同居や離婚などが加わり、出産→ 結婚という順も稀ではなくなった。増加しつつある同居も、その内実は、一時的な婚前同居、意 識的・安定的な同居、再婚手続きを避けるための同居など、さまざまである。つまり近年のカップルのあり方は、制度的にも実際的にも多様化・一時化し、個人から見れば選択肢が多くなって いるのである。結婚そのものが、イタリア社会全体の中での位置づけを大きく変えつつあるともいえる。では、そこから何が見えてくるのか。

同居・結婚の選択理由をとおして> そもそも結婚にはさまざまな側面があり、多様な機能や意味がまとわりついている。 その一つは経済的な側面であり、結婚には、家等の購入、子の養育など、かなりの費用が必要となる。このため、若年層の失業問題が深刻している近年、結婚できずに親元に残る現象は日本以上に進んでいる。またそれゆえ、従来より結婚には親の支援が不可欠だったが、実はこのこと が、近年の同居急増ともかかわりがあるという。かつて同居は、ことに親世代からの反対が多く、 親からの支援は受けにくかったが、近年、親世代の意識が大きく変化し、支援が充実するようになっているのである。同居は家族主義からの解放や個人主義と結びつけられやすいが、逆に家族(親)との関係の重要性が関与している側面もある。 そしてもう一つ、同居が増加する現在でも、「一度は結婚したい」「結婚式はあげたい」と話す者は少なくない。その背後には、結婚の社会性があると考えられる。そもそもイタリアにおける結婚は、きわめて社会的なイベントでもある。教会での結婚(教会婚)は、誰もが参加しうる公 開の儀礼だが、役所で行われる世俗婚でも簡易ではあるが公開で式が行われる。もちろん結婚は 国家の法制度でもあり(結婚と近代国家の結びつきは言うまでもない)、その意味でもきわめて社 会的な産物である。それゆえ逆に「結婚は紙に過ぎない」「煩雑な手続き」という声も多い。いず れにせよ結婚は、各個人にとっては、それぞれのコミュニティや国家などにおける社会的な承認、 社会的な人格の獲得とも密接にかかわっており、実際、結婚は sistemarsi(直訳:自らを体系の なかに位置づける)とも表現される。

一方、同居にはそうした社会性が不足している。しかし近年、この社会性の源泉たるコミュニティや国家などの個人への影響力が低下し、そのことが同居選択につながっているとみなすこともできる。結婚と同居とではもはや意識も実態もあまり変わらなくなっているという報告や初めのうちはいずれ結婚と考えていたのに結局結婚に至らない同居カップルも増えており、同居の社会性の低さ・不都合さは確実に意識されなくなっている。

結婚の多面性という視点からの再考

この現象はただ結婚が同居に移行したというだけでなくたしかに両者にはまだ差はある。カップリングそのものの社会全体における位置の変容とみなすべきである。その意味では、結婚のもう一つの側面、セクシュアリティという観点からの考察は必須である。本発表ではその点には踏みこまないが、少なくとも結婚は家族とのかかわりや経済的な側面のみならず、個人 の社会とのかかわり等からも考察すべきことは露わになってくる。

そしてこの点からもう一度振り返るならば、結婚をめぐる現在の諸変化とは、これまで結婚という制度に重なり合っていたこれらの側面・機能・意味・論理が互いにずれ始めていることの証左であろう。結婚はむしろ、これらの側面が重なり合うよう制度化されてきた歴史的産物であり、ゆえに近年の変化の中で、個々の状況に合わせた選択が可能となり、様々なカップリングのあり方が表出しつつあるのである。このことは、今後さらに結婚(カップリング)と家族、国家、コ ミュニティ、セクシュアリティなどとのかかわりが複雑化するだろうことを意味する。たとえば家族との関係についても、結婚の衰退が家族の衰退と直接にはつながっていない。近年、高齢化 などの状況下で家族(とくに親子関係)の絆はますます強まっており、その状況がむしろ同居選択と相性がよい場合も多い。そもそもカップリングと家族の論理は、本質的に異なっていること はこれまでも観察された。結婚・カップリングは、当然のことだが、社会の中で変化し、社会そのものを複雑に変えつつもある。

 

フィリピンにおけるムスリムの結婚に関する現代的展開

――多様性と連続性――

渡邉暁子(文教大学)

東南アジア島嶼部は、インドネシアやマレーシア、フィリピンなど 6 カ国を含む。程度の差こ そあれ、これらの国々では独立以後、近代化や経済発展が急速に推し進められた結果、多くの摩擦や適応などの社会変化が迫られた。本報告では、こうした動きへのミクロの応対として、当該 地域に暮らす人びとの家族形成の変遷に焦点を当てる。具体的事例として、フィリピンに生きるムスリムの一言語集団のふたつの家族を取り上げ、三世代にわたる配偶者選択の多様性と連続性 を描き出すことで、その現代的展開を探る。

1. 東南アジア島嶼部の結婚とその現代的展開

フィリピン南部は、イスラームが優勢な「マレー世界」である東南アジア島嶼部の一端を占め、他の島嶼部地域と共通した親族関係や文化的特徴を有する。かつて、配偶者選択は親が決めた縁組によってなされ、初婚年齢が低く、男女とも10 代半ばでの結婚が主であった。また、結婚は家族の連帯を保持することを目的としていたため、同じ民族での結婚が慣例であった。しかしながら、従来の結婚パターンに変化が生じている。経済構造の変化によって都市化や労働力移動が起き、女性の就学率の上昇や労働市場への参入が進んだ。こうしたなか、男女の初婚年齢が上昇し、出会いの機会が増えたことで、縁組婚から恋愛結婚に移行していった[Jones, Hull and Mohamad 2011]。ただし、出会いの機会の増大は民族や宗教を超えた結婚への偏向が高まったわけではなく、同民族(出身地)への選好も根強く残っている[Utomo and McDonald 2016]。

2.フィリピンにおけるムスリム人口の位置づけ

人口の 9 割をキリスト教徒が占めるフィリピン南部には 400~500 万人ほどのムスリム が居住する。この地域では、国民統合と国内の急速な近代化のなかでムスリム人口の政治的権利の剥奪や経済的窮乏化が生じ、1970 年代初頭から分離独立を求めた武力紛争が中央政府との間 で展開されてきた。この紛争がムスリム人口に与えた影響は非常に大きく、ムスリムの婚姻に関 連する事項として次の2つを挙げたい。ひとつは、ムスリムの分離独立運動への宥和政策として、1973 年にムスリム身分法(大統領令 1083 号)が制定されたことである。これによりムスリム 独自の文化が尊重されるムスリム婚が認められた。それにより、フィリピン家族法では原則的に許されていない離婚と、同時に4人までの妻を持てる一夫多妻制が認められたのである。もうひ とつの影響は、紛争によってムスリム人口がホームランドから流出したことである。人びとは戦禍を逃れ、旧来から密接なつながりを有していたマレーシアのサバ州や、従来は季節的な就労先 であった国内の都市部へと移動した。また、紛争の長期化が同地域における教育の質の低下を招き、教育機会を求めて移動するムスリムも増えた。この結果、居住・就労・教育の場において、他のフィリピン・ムスリム言語集団(他民族のムスリム)や、国内の非ムスリム人口(異教徒)と の接触が増大したのである。
2. フィリピン・ムスリムにみられる世代間の変化:多様性と連続性

こうした影響による変化は、フィリピン・ムスリム諸言語集団のひとつであるタウスグ人の2つの家族の三世代にわたる配偶者選択に見て取れる。両家族のうち一方は、ホームランドからマニラへと移動し、もう一方はフィリピン南部と就労先の湾岸アラブ諸国に生活の拠点を置いている。以下、2つの家族の世代間の変化として主として3点を指摘できる。第1は、縁組婚から恋愛結婚への移行である。他の東南アジア島嶼部と同じように、従来、婚姻は家族の連帯とみなされており、未婚女性の屋外での行動が著しく規制されていたため、未婚の男女が外で出会ったり会話を交わしたりすることはほとんどなかった。だが、女性の教育・就労機会が増大し、社会的規制が緩和するなかで恋愛結婚も増えていった。これと関係して、第2に、初婚年齢の上昇が指摘できる。かつては男女とも 10 代の始め~中ごろに結婚する低年齢婚が主流であったが、紛争 の長期化や経済構造の変化によって、女性の役割も変容し、次第に結婚期が遅くなった。第3は、 出会いの機会の増大から配偶者に異民族や異教徒も増え、なかには外国人ムスリムと結婚した者もいた。ムスリムであることが最も重要視されるため、非ムスリムは自らが改宗し、ムスリム婚によって結婚した。

このように、三世代の配偶者選択には、多様性と連続性がみられた。まず、出会いの機会が増大し、恋愛結婚となった場合でも、女性の男性親族を後見人として結婚を許可したり、男性側が婚資を提供するなど、イスラームに則った結婚の実践があった。次に、異教徒間結婚となった場合でも、キリスト教徒の配偶者はイスラームに改宗することで、その家族の一員として認められていった。ここから、初婚年齢が上がったとしても、結婚は依然として家族のイシューであることが伺える。また、両親が異民族/異教徒間結婚した場合、同じように「ハーフ」の境遇にある 者同士が結婚する傾向も強かった。そこでは、家格や親族紐帯といった社会的同類婚が見出された。最後に、海外の出稼ぎ先において多国籍者との結婚もあるが、同じ民族の配偶者を求め、イ ンターネットで出会い結婚するといったように、多様化する配偶者選択に対する回帰もあった。

東南アジアの出会いと結婚に見られる変化は、三世代に渡るフィリピンの2つのムスリム家族からもみることができた。近代化や急速な経済発展による社会変容は、ムスリムの配偶者選択を 多様化させたが、関連する法律や、女性の行動に対する社会的抑制、イスラームに基づく規範と慣習などが存続し、今もなお家族形成に深く関わっているといえよう。

【参考文献】

Jones, Gavin W, Terence H. Hull and Maznah Mohamad. 2014. Marriage trends in Insular Southeast Asia: Their economic and socio-cultural dimension. In Gavin W. Jones, Terence H. Hull and Maznah Mohamad (eds.), Changing Marriage Patterns in Southeast Asia. Oxfordshire and New York: Routledge, pp.29-46.

Utomo Ariane and Peter McDonald. 2016. Who marries whom? Ethnicity and marriage pairing patterns in Indonesia. Asian Population Studies, 12 (1): 28-49.