自由報告発表要旨

「家」と「家庭」の混交の諸類型

―1920年代の「家族制度」論を中心に

本多真隆(早稲田大学人間科学学術院)

1.問題の所在
近代日本の家族構造や家族規範をみる分析枠組みとしては、「家」と「家庭」の二重構造モデルがよく知られている。このモデルは、近代家族論の理論展開を踏まえて、近代日本の家族における「近代」と「伝統」の重層性を捉える上で有用な視点を提供してきた。そして近年の研究においては、西川祐子が新聞記事の分析を通して、「最終的には逆に『家』が『家庭』に吸収されてゆく様が明らかにみてとれる」(西川 2000: 24)と述べているように、戦後の日本型近代家族に連なる「家庭」が優勢になる局面が取り上げられてきた。
とはいえ、近代日本の「家族」言説には、これにはとどまらない局面もみられる。たとえば「家」が「家庭」を併呑していく場面や、「家」と「家庭」の種差性を解消していく場面などである。特に、産業化と都市化の進行で「家」の基盤が揺らいだ1920年代には、それまで「家(家族制度)」を重視していた論者は、さまざまロジックを用いてその存続に努めていた。
以上を踏まえ、本報告は、1920年代の「家族制度」論を対象に、論者がどのようなロジックを用いて「家」と「家庭」を位置づけようとしていたかを検証し、その論理展開の類型を提示することを目的とする。

2.資料と方法
資料としては、老川寛監修『家族研究論文資料集成』をベースに、国体論など、イデオロギー的な「家族制度」に関する議論を取り上げる。また「家族制度」の批判を目的とした「家庭」論も傍証的に取り上げ、相互の影響関係をみる。分析にあたっては、議論の論理構成だけではなく、各々の論者の時代認識や社会構想と併せて類型化していく。

3.議論
本報告の主な作業は、近代日本の家族論の多様性を提示することにあるが、検討を通して、保守的な家族規範が、「近代化」を迎えてどのように存続を図っていくかという、この時期の日本に限定されない論点を提出したい。

4.文献
西川祐子, 2000, 『近代国家と家族モデル』吉川弘文館.

 

 

半檀家の類型化における問題点

―美濃国安八郡笠木村の事例を中心に―

森本一彦(高野山大学)

 本報告は、地域研究において歴史的視点を重視するものである。人類学や民俗学、社会学では、地域的特性や現時点のあり様を強調し、歴史的な考察が疎かにされてきたように考えられる。本報告では、夫婦や親子で檀那寺が異なる半檀家を通して、家の展開を検討する。
 本報告では、美濃国安八郡笠木村(現在、大垣市)の半檀家の事例を分析する。笠木村は、明治5年(1872)の村明細帳によれば高540石余りである。田が37町余り、畑5五町四反余りである。家数は25軒、人口111名の村で、馬を3頭所持していた。宗教施設としては、神社一社と寺院1か寺である。神社は津島神社で、寺院は浄土真宗大谷派の徳養寺である。
 大垣市立図書館に所蔵された笠木村の宗門改帳は、天和3年(1683)~元治元年(1864)の52年間分の宗門改帳が存在している。笠木村の宗門改帳は、一世帯内で檀那寺を異にする半檀家が見られる。笠木村の宗門改帳に記載された檀那寺は、全部で41か寺にものぼる。それぞれの寺院の所在する郡は、安八郡が23か寺、加茂郡が1か寺、多芸郡が1か寺、池田郡が2か寺、不破郡が13か寺、本巣郡が1か寺である。このうち安八郡の曽根村と大垣村には2か寺、不破郡福田村には2か寺、不破郡平尾村には3か寺ある。笠木村を中心にして、多くの村々の寺院と寺檀関係を持っていた。村外の複数の檀那寺との関係は、支配者や村役人は煩雑な事務処理を伴うことになる。支配者側から言えば、1村においては1か寺の檀那寺が全村人の宗門改帳の宗判を押す方がより合理的だと思われる。幕府は安永5年(1776)には宗門改帳の作成を宗派別にすることを命じている。安永9年(1780)には夫婦同宗であるべきであると命じる。それにもかかわらず、村単位では多くの檀那寺との関係を認め、さらに世帯内でも半檀家という形を取るのにはそれ相応の意味があると言わざるを得ない。
 それは、支配者の論理からではなく、地域の必然性であると考えられる。地域の必然性として考えられるのは、檀那寺側からの要請であるか、檀徒側からの要請であるかのどちらかである。福田アジオによれば、「近世における寺檀制度は一家一寺であることを必ずしも権力的に強制していなかった。一家の中に複数の寺檀関係があったとしてもかまわなかった。それにもかかわらず、寺檀関係の一般的な形態が一家一寺の関係であるのは、近世における農民の家のあり方に規定されているといってよいであろう。」と述べている。
 本報告では、檀徒からの要請という視点で分析をするが、檀那寺からの要請の可能性も検討する必要があると考える。また宗門改帳の記載の検討が必要である。さらに、檀徒からの要請が強くとも、宗門改帳を作成する人間(多くは庄屋を中心とする村役人である)がそれを記載することなしには半檀家は現れない。さらに、檀那寺は宗門改帳の記載内容を確認した上で宗判を押すのだから、檀那寺の承認なしには半檀家の記載は現われない。たとえ半檀家の要請があっても、支配者・宗門改帳の記載者・檀那寺等の承認なしには宗門改帳に半檀家の記載は現われない。だから、宗門改帳に半檀家がないからと言って、半檀家がないことや、半檀家を支える社会構造がないことを意味しているわけではない。しかし、潜在的なものを対象としても分析できないので、本報告では宗門改帳に記載された半檀家を対象とする。本報告で提示する数量的なデータはあくまでも絶対的なものではなく、分析を進めていくための一つの指標である。