2017年秋季研究大会(自由報告要旨)

明治末・大正期大阪の労働者家族の母体・母胎の状況

樋上惠美子

 

1.問題設定 社会経済史に平均余命か乳児死亡率、身長を生活水準の比較基準とする研究があり、Lee A. Craigは工業化に伴う労働強化と栄養状態の悪化が平均身長を引き下げたと述べている。日本における工業化のこうした影響はどのようなものであったか。大阪の工業化を担った労働者をはじめ下層(多くは他から来た寄留者)の女性の母体・母胎の状況、周産期死亡率を中心に述べる。
2. 資料と分析 大阪の工業化は繊維産業が先行し、女性の労働者が男性を凌駕する時期が続いた。大阪の紡績業は深夜業を実施し、工場の寄宿舎入寮者の食事は炭水化物に偏り、栄養不良は彼女たちの月経を止め、量を減らし、結核、脚気に罹患する者もあり、貧血も多かった。一方、機械・金属・化学などの工場の徒弟男性は、日露戦争による重工業化の進展によって、労働者となり実質賃金は上昇した。このころから小売市場が出現し、労働者の家族形成が進んだ。大阪市では社会増で人口を増やしていたが、1907年出生数が死亡数を上回った。それまで出産できる寄留者は少ないため大阪市の死産の半分は非嫡出子であった。また、出生後死亡にもかかわらず死産と届けることもあり、死産と出生直後死亡を扱う周産期死亡率を使用し、出生直後死亡を引き起こす背景を分析した。大阪府衛生課の乳児死亡率の高い細民や労働者居住地域の5日以内死亡乳児(65.5%は早産)の調査によると、その母親は平均3.35人出産し、その3分の2の胎児・乳児を死亡させていた。母親の早産を誘発する結核、脚気、妊娠中毒症、外傷、梅毒、淋病などの罹患者が多かった。こうした下層の出産を担うために1920年大阪市は市立産院を設立した。『大阪府統計書』、内閣統計局『人口動態統計』、『助産の栞』、宇野利右衛門『職工問題資料第1号』などを資料とした。
3.結論 労働者家族の白米多食は大阪の脚気罹患率を高めた。その世帯は不安定であったが、第一次大戦の好景気によって安定した。1920年代、物価が下落したため生活水準が上昇し、妻は外働きをやめ内職をしながら栄養に配慮する料理を始めた。食生活の改善と母体の労働量の減少は乳児死亡率だけでなく周産期死亡率も低下させた。
4.参考文献
Craig. L. A. 2016, Chap.37 Antebellum Puzzle;Komlos J. et al. The oxford handbook of economics and human biology.
国澤健雄『乳幼児保護に関する報告』内務省衛生局、1926年。
緒方助産婦学会誌『助産の栞』(38~482号)1899~1936年。
宇野利右衛門『職工問題資料第1号』工業教育出版、1912年。
樋上惠美子『近代大阪の乳児死亡と社会事業』大阪大学出版会、2016年。