髙橋美由紀「近世東北の人口政策」

第2報告 「近世東北の人口政策」

髙橋 美由紀(立正大学)

近世期の東北地方においては、人口減少および停滞に悩む藩や地域が存在した。これは、東北地方に特に甚大な被害をもたらした天明の飢饉、そして天保の飢饉による人口の減少が大きかった。しかし、大飢饉時ではなくとも、冷害などの小規模な自然災害は常に存在した。このため、東北地方および北関東の農村では農地が荒廃地となるところも多く、為政者は人口増加の対策について検討せざるを得なかった。人口増加を実現するためには、自然増加対策と社会増加対策とがある。自然増加対策は、出生数を増やす、あるいは死亡数を減らすということであり、社会増加対策は転入数を増やす、あるいは転出数を減らすということである。本報告で中心として考えるのは、自然増加対策であるが、社会増加対策も重要であると考えられるため、若干は触れたいと考えている。

幕府代官、藩の領主、民間篤志の者によって採用された出生増加対策としては、経済的扶助を与えるといういわば「アメ」の政策と堕胎・間引を取りしまるという「ムチ」の政策とが存在した。また、庶民に対して堕胎や間引を悪と考えさせる「教化」策も採用された。

「アメ」の施策は、「赤子養育仕法」などとよばれるもので、出生した子ども数およびその時点で家庭内に存在している幼い子どもの数に応じて衣類や米や金を支給するものであった。ここで支給される金銭は、藩からの下賜金や民間篤志の者からの献上金を原資として金銭の必要なひとびとに貸し与え、その利金を使用して制度の永続性を担保するというように金融制度としてもそれなりに評価される仕組みから与えられていた。また、制度の運用にあたっては、子どもを育てる大変さも考慮され、母親が出産当時働いていたか、子どもが多子であったか、などによっても貸し与えられる金額が異なっていた。この制度は、三春藩・新庄藩・白河藩・二本松藩・黒羽藩・桑折代官領・守山藩・会津藩・水戸藩などで採用されていた。また、子どもが生まれる前提としての結婚を奨励するために結婚をするひとへの金の貸与や結婚費用の縮小なども講じられた。

「ムチ」の施策は、当時において多くのひとがおこなっていたといわれる堕胎と間引の取り締まりである。これらを防ぐために、妊婦の調査がおこなわれ(「懐妊書上帳」などの史料が残存する)、堕胎や間引がおこなわれないように、村落において集団監視がおこなわれた。また、堕胎や間引が「人道に反する行為」であり、「子どもは家の宝である」という教諭もおこなわれた。そのために作成されたのが「間引絵馬」やその背景として書かれることもあった「子育繁盛手引草」であった。

また、民間篤志の者の中には、鈴木四郎兵衛、大高善兵衛、慶(きょう)念(ねん)坊などのように貧児や孤児を自ら育てるものもあった。

これら施策の効果を図るのは難しい。しかしながら、現代の子育て支援と同様の施策は近世社会においても施行されており、その制度もよく考えられたものであった。このことは、一定の評価に値し、現代の我々が直面する人口問題を考える際にも再吟味するに値する。