2023年度 秋季研究大会シンポジウム要旨

【シンポジウム趣旨】

ケアとジェンダーでみるライフコースの変容:アジア・ヨーロッパ6社会の事例から
                         山根 真理(愛知教育大学)
 本企画は、アジア・ヨーロッパ6社会における20世紀後半以降のライフコースの変容を捉える科学研究費プロジェクトの成果を中心とするシンポジウム企画である。科研プロジェクトでは、韓国、中国、フィリピン、デンマーク、トルコ、日本において、1950年代生まれ、1980年代生まれの人々のライフコースの聞き取り調査を進行中である。ジェンダー研究の視点をもって調査を設計し、人生の出来事の中で、特に子育て、介護など、ケアにかかわる経験と社会関係に重点をおいた調査を実施している。このプロジェクトから得られたデータを中心に、ジェンダーの視角を共通項にして、6地域におけるライフコースの変容について論じる。各報告は、子育て支援にかかわる政策と世代間関係、ケアをめぐる女性たちの選択、社会階層と就業・ケア経験、ケアにかかわる規範と実践の変容、ジェンダー化されたライフコースの生成など、報告者の関心に応じて展開される。
 報告をめぐって、歴史人口学・家族史、ライフコース論の観点からのコメントを受け、その上で議論をフロアに開く。家族に関する多様な学問的立場の研究者の方々との対話を通して、人生・家族・歴史を捉える視角についての議論を深めたい。
*研究課題:「ライフコースと世代」の再編に関する比較家族史的研究
(基盤研究(B)、課題番号:20H01567、研究年度: 2020~22年度、代表:山根真理)

報告1 韓国における子育て支援政策と世代間関係の変容―「黄昏育児」のゆくえ―
             李 璟媛(岡山大学)・洪 上旭(韓国・嶺南大学校)
 0.78。韓国を震撼させた0.78とは、韓国の2022年の合計特殊出生率である。韓国の合計特殊出生率の現状を理解するためには、1960年代から1990年代の半ばにおける低下と今日の低下の2つの側面から確認する必要がある。前半の低下は、1962年から始まる「経済開発五か年計画」のもとで「産児制限、出産抑制」を中心とする家族計画を国策とした家族政策の産物である。60年代に創設された大韓家族計画協会や女性保健部によって出産抑制のための様々な制度が展開され、1960年に6.0だった合計特殊出生率は、1990年には1.57まで下がる。その後、将来の人口抑制の必要性について検討した政府は、1996年に人口抑制政策を廃止し、政策の目標を「産児制限」から「資質向上」へと変更する。
 人口抑制政策廃止後も合計特殊出生率は低下し続けている。現在の家族政策は、出産抑制から出産奨励に転換しており、2023年現在は、育児休職、乳幼児保育料支援事業(無償保育)、アイドルボミ(子ども世話)支援事業など、支援の結果が出産奨励にもつながるような様々な子育て支援が展開されている。しかし、合計特殊出生率は2018に1.0を下回り、2022年には0.78を記録した。今日の少子化の背景を簡単に述べるのは難しいが、仕事と家庭の両立を希望する女性の増加、変らない性別分業の実態、子育てのため余儀なくされる女性の就業中断、過重な教育費用を含む莫大な子育て費用などが、相互に関連した結果、晩婚、非婚、非出産へとつながり、今日の少子社会韓国につながっていることはいうまでもない。子育てを理由に離職し、就業経歴が中断される状況を指す「経歴断絶」やその当事者を指す「経断女」、さらに子ども世代を支えるため孫育てを引受ける祖父母を指す「黄昏育児」という造語も現れている。両立を図る女性の多くは、経断女になる、黄昏育児に頼るなどの選択に迫られる。または、結婚しない、子どもを持たないなどの選択に迫られる。
 以上を踏まえ本報告では、子育ての困難な現状を確認するとともに、2013年に導入された無償保育を含む子育て支援政策を考察し、保健福祉部などの実態調査に基づいて公的、私的支援の動向を分析する。さらに、1950年代と80年代生まれの2つの世代を対象とする質的調査を分析し、韓国における子育て支援政策と世代間関係の変容について考察する。

報告2 ケアをめぐる彼女たちの選択―自己・家族と国家のはざまで― (中国)
         磯部 香(高知大学)・李 東輝(中国・大連外国語大学)
 本報告では、中華人民共和国が設立後の社会主義制度の基礎が構築された「50后(Wǔ líng hòu (50年代生まれ))の女性たち、そして一人っ子政策が実施され、改革開放の中で比較的豊かな世代に生まれた「80后:Bā líng hòu(80年代生まれ)」の女性たちの言説を照合し比較することで、彼女らが人生の中でケア(子育て・介護)をどのように位置づけているのか、また彼女らのライフヒストリーより、個として、そして国家や家族から希求された生き方、つまり彼女らが個・家族・国家の三者の中のせめぎあいの中でどのように生き抜いてきたのかを明らかにする。
 「50后」の女性たちは、都市部青年の就職問題を解決するために中国で行われた都市部の若い者を農場や農村に行かせる「上山下郷」運動(1955年~1978年)、「文革大革命」(1966年~1976年)、及び「一人っ子政策」(1979年~2015年)が彼女らの人生に大きな影響を与えている。一方、「80后」の女性たちは「4・2・1家庭(4人の祖父母・2人の父母・一人っ子)」を体現しており、移動・進学・職業・恋愛結婚を比較的主体的に選択している。
 また伝統的な家族意識が強い「50后」の女性は、建国以前の女性と違い、公的領域にて男性と同等の地位を表明した政策のもと、彼女たちにとって就労は生きるための手段だけではなく、経済的に独立を獲得する手段としてみなしている。「80后」は就労を自己実現、生活を支える手段として捉える一方で、配偶者の収入如何が女性たちの働き方を決める。
 子育てに関しては、「50后」の女性は、親と親族の手伝いを得ながら子どもを育ててきており、退職後に自分の子どもの育児をサポートしている。「80后」はまさしく「50后」「60后」の父母のサポートを全面に受け、戸惑いながらも子育てを行っている。
 「50后」は親の介護が子どもの責任であると思っていたが、将来自身の介護は子どもに迷惑をかけたくない、子どもには期待をしていない。「80后」女性は親の介護を国家の役割だとあまり思っておらず、自身がしなければならないと思っている。むしろ「80后」の男性が(義理も含めて)両親の介護をしなければならないという規範を強く有しており、ジェンダー差が見受けられる。

報告3 フィリピンにおける1950年代生まれ女性のライフコース
    :地方在住公務員と農業従事者の出産、育児、就業、介護経験を中心に
                               長坂 格(広島大学)
 報告者は2009年に、アジア諸国(日本、中国、韓国、フィリピン)における女性のライフコースの比較調査に参加し、フィリピン、ルソン島北西部のイロコス地方において、1930から40年代生まれの女性を主たる対象として、家族関係や自分が受けた/行った育児の経験についての質問紙調査を実施した(回答者数は81名)。他国との調査結果との比較からは、男女間で学歴に差が見られないこと、女性の就労がこの世代において拡大し、さらに継続就労をした女性の割合が高いこと、育児ネットワークの範囲は自分が子どものときも親のときも広いこと、さらに自分が育児をしたときには雇用する家事労働者による育児が増加していたことなどが明らかになった。調査対象者の代表性には留保が必要であるが、これらの結果には、双系的、家族圏的な家族・親族関係のあり方や、米国植民地下における公教育の普及といったフィリピンの社会的歴史的背景が関わっていると考察することができる。他方で、フィリピンの調査結果は、学歴や雇用家事労働者の有無といった点において、公務員などの有職女性と、農業従事女性との間で、大きな差があることをも示していた。
 今回の発表のために行われた2023年2月の調査では、前回調査より20歳から30歳ほど若い、1950年代から60年代初頭生まれの女性6名を対象として、出産、育児、就業、介護、死者親族祭祀を主要調査項目として、聞き取りを行った。前回調査の結果もふまえて、学校教員や役場職員など公務員として就業継続した女性3名と、主として農業を行ってきた女性3名に聞き取りを行った。この発表では、これら2つのグループに分けられる女性が、自らの出生、学校教育、就業、恋愛、結婚、出産、育児、介護などをいかに経験したかをまとめ、上の世代との比較を行うことで、フィリピンの一地方の女性のライフコースの持続と変化について論じたい。

報告4 デンマークにおけるケア規範およびケア実践の変遷
     -1950年代生と1980年代生の世代間比較を通して-
     青木 加奈子(京都ノートルダム女子大学)・宮坂 靖子(金城学院大学)
 デンマークの子育て政策は「二人稼ぎ手、二人ケアラーモデル」(Ellingsæter & Leira eds.2006)と言われている。これは、両親が共にフルタイムで就労しつつ、共に子育てに関わるような政策を採用していることを指しており、実際に日常生活において実践されている。両親が仕事をしている間、子どもは公共機関が提供する保育施設で過ごすが、それ以外の時間は、育児休業制度や各種休暇を利用したり労働時間を調整したりしながら両親が互いに協力しつつ子育てを行う。これに対し、介護は国家責任とされ、家族には扶養の義務もケアの責任もないとされている。
 このような家族政策を反映して、私たちはデンマークの家族に対して「制度や政策を利用しながら、子育てはカップル(のみ)で完結する」「子どもは老親の介護に関与しない」という家族イメージを持ちがちである。果たしてそのイメージは正しいのだろうか。仮に正しいとすれば、そのようなケアのあり方はデンマーク社会において時代を超越した普遍的なものなのか、あるいは変化によってもたらされた結果なのか。これらの問いを聞き取り調査によって人々が語った経験から明らかにしていく。
 聞き取り調査は、2022年10月~2023年9月にデンマーク第2の都市オーフス市とその周辺で実施した。調査対象者は1950年代生まれ9名(女性5名、男性4名)、1980年代生まれ8名(女性5名、男性3名)である。
 結果は次の通りである。子育てでは、1950年代生の女性の多くがすでに仕事を持っていたが、家事・育児分担は女性に偏る傾向にあった。一方、1980年代生になると、女性も男性もフルタイムの仕事を持ち、カップルで家事や子育てを分担していた。どちらの世代も実/義親からの子育て支援を受けていることが多く、1950年代生においては定期的に孫育てに関与し、子どもの家庭生活を支えていた。また、親の介護において、身体的介護は公的支援に頼る傾向があり、どちらの世代にも、身体的介護は国家、および地方自治体のサービスを選択するものの、情緒的支援や生活的支援は子どもや夫などの家族に期待していた。
 つまり、国家・自治体の支援サービスを活用した上で、子育てはカップルのみで完結する、子どもは親の介護には関わらないということはなく、家族・親族によるケアのサポートネットワークが存在することが明らかになった。
【文献】Ellingsæter, A. L. and Leira Arnlaug eds., Politicising Parenthood in Scandinavia, Bristol, The Policy Press, 2006.

報告5 トルコにおける成人期への移行とジェンダー化されたライフコース
    ―タイミング・選択(agency)・歴史的時間
安藤究(名古屋市立大学)・Tolga Özşen(トルコ・Çanakkale Onsekiz Mart Üniversitesi)・Melek ÇELİK(トルコ・Çanakkale Onsekiz Mart Üniversitesi)

 本報告は、トルコの1980年代生まれの人々の、ライフコース上の離家・教育終了・就業・結婚・兵役等のイベントのタイミングに関する選択や年齢規範意識について、ジェンダー化されたライフコースと歴史的時間という観点から考察する。
 ライフコース研究では、個人のライフコースが歴史的・社会的文脈に埋め込まれる側面が強調されるとともに、一定の社会的制約のもとで、人々が選択・譲歩や行為を通じて自分自身の人生を構築するという点にも留意が促されている。1980年代にトルコに生まれ成長するということに対するトルコ社会の歴史的文脈の影響や、その中でどのような選択をどのような意図のもとにおこなったかを、一連のイベント経験のタイミングに関する選択や規範意識を手がかりに検討するということである。
 イベント経験に関する年齢規範意識については、適齢期および限界年齢(dead line)の2つの点で検討する。これは、調査対象者に内面化されている、年齢分化した「社会的道すじ」(social pathways)と一定の制約のもとで選択される実際のライフコースの間の「緩やかな結合」(loose coupling)を分析するためである。ジェンダー化されたライフコースということでは、「男性(女性)にとって、あるイベントを経験する適切な年齢があるか」等の質問に対する男性・女性双方の回答を通して検討する。歴史的時間に関しては、トルコ近代化のプロセスを射程に収めながら、1980年以降の本格的な経済の自由化と経済成長に留意する。これは、複数の社会における離家や家族形成に対する経済変動の影響の先行研究に鑑みてのことである。兵役は、トルコの地政学的・歴史的環境のもとで男性に課せられているが、それをどのようなタイミングで経験するかは、その後の当該男性のライフコースのみならず、配偶者・子どものライフコースにも影響を及ぼす場合もある(”Linked Lives”)。

報告6 ケア・ネットワークの比較を通してみた日本の「ライフコースと世代」再考
                          山根 真理(愛知教育大学)
 本報告ではまず、本研究に先立つプロジェクトにおいて、2009年に名古屋市(日本)、ソウル特別市(韓国)、大邱広域市(韓国)、大連市(中国)、イロコス・ノルテ州の州都ラワッグ市および周辺町(フィリピン)5地域で1920~40年代生まれの方を主対象に行った質問紙調査結果を通して、日本の「ライフコースと世代」を再考する。5地域のケア・ネットワークを比較考察するにあたり、「基層的家族・親族システム」と社会的・歴史的文脈をあわせて考察した。
 5地域における産育ネットワークの変容課程の比較を通して、日本のライフコースと世代について次のことが考えらえる。(1)出産の医療化には、①地域の伝統的助産者→医療(新)産婆→医者(名古屋)、②地域の伝統的助産者→医療専門家(大連、イロコス)、③親族(父方優勢)→医療専門家(ソウル、テグ)の3パターンがみられる。他地域が圧縮的な出産の医療化を経験しているのに対し、名古屋の出産の医療化には女性助産師の浸透による医療化の時期が存在する。(2)「基層的家族・親族システム」とケア・ネットワークは親和性をみせるが、その親和性は固定的なものではなく歴史的時代のなかで多方向的な変容過程をたどる。名古屋は一人の子ども(長男が多い)が単独継承し親同居する「家」を基層的家族・親族システムとする地域である。自分が育った時のケア・ネットワークにおいて父方祖母が優勢であったが、自分の子どもが生まれ育った時期には、ケアの第一の与え手は母親に集中し、ケアの支え手としての祖母役割に双方化の傾向がみられる。父方祖母のケア役割の弱まりは、ソウル、テグデータでも見られる。一方、非単系的家族・親族システムを基層とする大連、イロコスでは、生まれ育った時代のケアの与え手と、自分の子どもが育った時代のケアの担い手いずれにも「マルティプル・ペアレンティング」的な傾向が見られる。日本は韓国と並んで第二次世界大戦後の近代化過程のなかで「基層的家族・親族システム」に親和的なケア・ネットワークが弱まった地域であることが考えられる。
 報告では2009年アジア5地域調査の再考に重ね、2023年に名古屋圏で実施したインタビューのうち、1950年代生まれの方々(女性4人、男性3人)のライフコースとケア・ネットワーク、ケアの経験がもつ意味に関する考察を行い、比較を通してみた「日本のライフコースと世代」についての洞察を深めたい。
*研究課題名:20 世紀アジアの社会変動と高齢者のライフコース―家族イベントの聞き取りを通して(基盤(B)、課題番号:19330105、研究年度:2007~9年度、代表:山根真理)


【シンポジウム報告者】
李 璟媛(い きょんうぉん):岡山大学教授 家族社会学
洪 上旭(ほん さんうっく):韓国・嶺南大学校教授 家族社会学 
磯部 香(いそべ かおり):高知大学准教授 保育学・家族関係学
李 東輝(り とうき):中国・大連外国語大学教授 家族社会学
長坂 格(ながさか いたる):広島大学大学院人間社会科学研究科教授 文化人類学・移住研究
青木 加奈子(あおき かなこ):京都ノートルダム女子大学准教授 家族関係学・ジェンダー論
宮坂 靖子(みやさか やすこ):金城学院大学教授 家族社会学・ジェンダー論
安藤 究(あんどう きわむ):名古屋市立大学教授 家族社会学・ライフコース論
Özşen, Tolga(オズセン,トルガ):トルコ・Çanakkale Onsekiz Mart Üniversitesi 教授農村社会学・日本学
ÇELİK, Melek(チェリック,メレッキ):トルコ・Çanakkale Onsekiz Mart Üniversitesi 助教 表象文化研究・比較文学
山根 真理(やまね まり):愛知教育大学特別教授 家族社会学・ジェンダー研究

【討論者】
平井 晶子(ひらい しょうこ):神戸大学大学院人文学研究科教授 歴史人口学・家族社会学
安藤 由美(あんどう よしみ):琉球大学名誉教授 社会学・ライフコース論

【司会】
山根 真理(やまね まり):愛知教育大学特別教授 家族社会学・ジェンダー研究
宮坂 靖子(みやさか やすこ):金城学院大学教授 家族社会学・ジェンダー論