【シンポジウムの趣旨】
小山静子
本シンポジウムのテーマは「子どもと教育」である。30年ほど前から、家族における子どもと教育が歴史研究の対象として本格的に取りあげられるようになり、以下の知見が共有されてきた。すなわち、子どもは、自明の存在だと考えられていたが、実は歴史的存在であり、子ども観も歴史性を帯びたもの、したがって可変的なものであること。近代化とともに、働く子どもから愛護され教育される子どもへと転換し、子どもを中心とした家族が形成されていくこと。「男は仕事、女は家事・育児」という近代的な性別分業が成立していくことにより、母親が家庭で子育てや子どもの教育に専念するようになること。母子の一体性を強化するものとして、母性イデオロギーが登場してくること。近代社会においては学校と家族が子どもの教育を担う二大エージェントであること。
これらの知見は教育の歴史研究に大きな影響を与えてきたが、大きく2つの考察すべき問題が存在しているように思われる。1つは、すべての家族が、近代的な性別分業家族や家族成員間に親密な関係性や情緒的絆が存在する家族ではないし、子どもに対する愛護や教育に熱心なわけでもないという問題である。このような家族において子どもはいかに育てられ、教育を受けていくのか、またどのような家族政策が展開されていったのか、明らかにしなければならない。
もう1つは、母親が子育てや子どもの教育に積極的に取り組み、濃密な教育空間と化していった家族においては、どのような困難や問題が存在しているのかということである。「よりよき」子どもを望む親の心性は何をもたらしたのか、性別分業の下に生きる男性にとって子どもはいかなるものであるのか、逆に女性にとって子育てに専念するということは何を意味しているのか、これらの課題が考察すべきものとして存在している。
本シンポジウムはこれら2つの課題、すなわち「近代家族ではない家族における子どもと教育」と「近代家族が抱え込む困難・問題」について考えるために企画された。具体的には、次の12名による報告とそれをうけての全体討論が行われる。
第1部では、まず柴田報告が、16-17世紀のヨーロッパで数多く出版され、家族を統治する原理となっていた家政論文献群を手掛かりに、家族の統治(government)と結び付けられ、子どもの統治として位置づけられていた「子どもの教育」という営みを、education、instructionという言葉の分析から明らかにしていく。そして野々村報告では、18世紀ロンドンで無料診療所が設立された経緯とその活動を通して、科学的育児知識の構築と、養育主体としての家族像、母親像の構築との共時的推進関係の構造を、子どもの生命保護をめぐる救貧医療の実態において明らかとする。次いで山本報告では、日清戦争頃に「水上生活者」が現れ、1920-30年代に社会政策の対象として注目された、水の都東京に着目して、利根川高瀬船を手掛かりに、船頭家族の歩みと社会事業の展開に伴う子どもの教育の変容について検討していく。吉長報告では、1930-40年代の日本の農山漁村の産育が、集中的に妊産婦・乳幼児保護の施策の対象とされて変容していく事態について、恩賜財団愛育会の事業に基づいて分析する。
第2部では、広井報告が、明治初年以降、親こそが「自然」の愛情に基づいて、子どもを教育する第一義的な責任を負うという近代家族型の親子関係規範が形成されていく中で、子どもの成長・発達の問題が「親子問題」あるいは「家族問題」として捉えられていく過程を分析する。服部報告では、近代化への対応という側面と同時に、本来のイスラームの教えに戻るという側面を合わせもつ、イスラームにおける近代に焦点をあてる。具体的にいえば、近代への移行期であった1920年代~1930年代の蘭領東インド期に、ムスリム女性たちによって「近代家族」と子どもがどのように論じられたのかを考察する。分析対象として、1912年にジャワ島中部ジョグジャカルタで設立された改革派イスラーム組織ムハマディヤの女性部アイシヤによって1926年に刊行された雑誌『アイシヤの声(Soeara Aisjijah)』(1926-1941)を取り上げることにより、改革を志向したムスリム女性による「近代家族」と子ども観を明らかにする。河合報告は、特に20世紀前半のフランスで高揚した出産奨励運動の子ども観に焦点をあてて、この運動に内包されていた家族規範と多産な家族を理想とする教育の内実、そして、子どもという存在に込められた意味について考察する。そして小玉報告では、20世紀初頭のドイツにおいて、アメリカから輸入された母の日が、どのように女性たちを国民国家の担い手として教育する役割を果たしたのか、明らかにする。
第3部では、まず海妻報告が、一方では青少年たちに「田畑と妻を得て近代家族の長になれる」というファンタジーを供給し、他方で「無償農業労働力としての嫁」を不可欠な要素としていた日本の植民地主義が、どのように近代家族イデオロギーを推進しまた矛盾をきたしていたのかを、血縁的・儒教道徳的な父子関係を切断して擬似家族的ホモソーシャルを形成した満蒙少年開拓団の言説空間分析を通じて明らかにする。そして李報告では、男児選好思想、産児制限、出生性比の不均衡、子どもの少人数化、教育の大衆化と格差などをキーワードに、1960年代以降の韓国における子どもの教育をめぐる変化と今日的課題について、家族政策とのかかわりから分析する。小山報告は、産むということと育てるということとの一体的な理解の必要という観点から、「作るもの」となった少数の子どもを、いかに「健全」に育て、「資質」を向上させようとしたのか、1965年に成立した母子保健法に焦点を絞って考察する。最後に土屋報告では、児童養護施設で生活する子どもに対する児童養護専門家から発せられた養育規範の戦後史を紐解くとともに、特に1970年代初頭から1980年代という時期になされた児童養護運動における運動資料を分析する中で、同時期が戦後の児童養護問題の一つの大きなターニングポイントに該当していたことを歴史社会学の視座から読み解く。
今日、家族と子どもや教育をめぐっては様々な問題、たとえば、子どもへの虐待、子どもの貧困、男性の子どもへの関わりの希薄さ、パーフェクト・チャイルドへの親の希求、家庭環境によって子どもの将来が切り開かれていくというペアレントクラシーの台頭、などが指摘されている。家族における子どもと教育をテーマとする本シンポジウムは、これらの問題を考えていくにあたっての基本的視座を形成するとともに、わたしたちが自明視している近代的な子ども観や教育観を相対化することにもつながると考える。