2023年度春季研究大会 自由報告要旨

報告1.武井基晃(筑波大学)

「家譜にみる琉球士のライフコースと年齢―長命あるいは早逝にともなう孫による継承を中心に―」

近世琉球王国の首里王府に仕官した士(サムレー)の家譜は、男子の公的な履歴のみならず、士の一門の戸籍としての性格も有しており、一門の子女個々人の記録量が日本の武家の家譜と比べると豊富である。沖縄戦による焼失もあり全数把握が不可能となったものの、残存する家譜を用いたライフコースの分析は可能性を有している。
 そこで本発表では、琉球士の一門の宗家を対象とし、代々の継承者のライフコースを分析する方法を検討したい。たとえば、誕生から成年(「結欹髻」)、任官の年齢、父になった年齢、相続した年齢、死亡年なども導き出せるし、王府における品位(位階)の昇進年齢の傾向も読み取れる。こうした資料整理を重ねることで、①複数の一門間の同時代の水平的な比較(例えば首里士・久米村士・新参士など家系による昇進傾向の比較)、②同じ一門内の代々の成員の垂直的な比較が可能となる〔武井基晃2018「先祖の歴史に対する子孫の関心―家譜の読解と元祖の位牌の新設―」『比較家族史研究』32〕。
 後者(②)に関しては一門内の年齢(寿命)の問題として、先代の長命あるいは後継候補の早逝によって、先代の孫の代が家統を継承した事例(その場合、先に亡くなった父の世数もカウントされる)を取り上げて分析を試みる。すでに、坪内玲子による琉球の家譜についての年齢の分析において、家督を譲らずに長生きした継承者の長期にわたる家督期間は、次代の継承者の家督期間を短縮させ、また時にはその間に子の方が先に死亡して、孫によって家督相続が行われる場合が生ずることが指摘されている〔坪内玲子1992「「家督」の相続と親族」『日本の家族 「家」の連続と不連続』アカデミア出版会、同2001「南部藩公族と首里士族における家系の継承」『継承の人口社会学―誰が「家」を継いだか―』ミネルヴァ書房〕。これらも参考にしながら、こうした事態に対するより個別具体的な対応を明らかにすることを目指したい。

報告2. 堀内香里(東北学院大学文学研究科・日本学術振興会特別研究員PD)

「近世モンゴルにおける家族:18世紀から20世紀初頭のハルハ・モンゴル遊牧社会における養子縁組」

本研究は近世モンゴルにおける家族のあり方を解明することを目指し、その第一歩として養子縁組について考察するものである。
 家族史研究は国内外を問わず益々活発になっている。しかしながら、前近代モンゴルの如き社会、すなわち世襲の貴族制度、遊牧、仏教等に特徴づけられるような社会を対象とした家族史研究は殆どない。例えば、モンゴル人の住居であるゲル一つをとってみても、部屋数は常に一つであり、しかもいつでも畳めて且つ持ち運べる。また財産の中心は家畜であり、これは土地とは違い出産によって増えたり、天災等によって減ったりする。夙に指摘されているように、家族のあり方はその自然及び社会的環境に大きく影響される。であれば、当該社会の家族を考察することは、家族史研究にその理解の深化を促すだろう。
 本発表では、現地一次史料を使った、近世モンゴル遊牧社会における家族史研究の初めとして養子縁組に焦点をあてた。これは単に扶養といった家族という組織が担った働きに関わるだけでなく、系譜をつなぐという「家」の存在意義や家族観にも関連する事案である。これを先に検討しておくことは、今後家族史研究を進めることにおいても有用であると思われる。
 史料を分析した結果、養子縁組の主な目的は相続や介護であった。一方で養子の取り方については、貴族と平民の間には明確な違いが看取された。貴族においては、必ず父系血縁関係のある者(同姓、同族)の間で行われていたほか、その血縁関係の遠近によって相続内容が異なっていたり、夫の死後に寡婦が養子をとる事例も少なくなかった。平民においては、貴族とは異なって子の養育も養子縁組の主な目的の一つであり、また血縁関係は問われず、従って相続においても血縁関係の遠近による差異は見られなかった。
 本研究では家族を巡る様々な事柄のうち養子縁組という一斑を見ただけであるが、家族のあり方を考える新たな一事例を提示することが期待できる。

報告3.澤野美智子(立命館大学)

「養子縁組という『支援』:AYA世代女性のがん経験者の語りから」

 本発表の目的は、日本における若年がん経験者に対する家族形成のための「支援」、その中でも特に養子縁組の位置づけについて検討することである。
 近年、AYA(Adolescent and Young Adult)世代と呼ばれる若年のがん患者・サバイバーの妊孕性温存および治療後の家族形成に関わる問題に、厚労省や医療関係者、当事者たちが多くの関心を寄せ、それぞれ多様な取り組みを行っている。生殖機能にダメージを与える可能性のあるがん治療を行う前に希望者の妊孕性(妊娠するための力、生殖機能)を温存し、それがうまくいかない場合には養子縁組があるという選択肢を提示する「支援」は、可能なかぎり生物学上の血縁のある家族を築くこと、それができなければ養子縁組によって家族を築くことを望ましいとする文化的価値観を基盤としている。
 このような「支援」の意義として、若年がん患者の中でも挙児希望がある人たちにとっては、がん治療前に妊孕性温存ができた場合には最低限の安心材料となり、実際にがん治療後に自分自身の凍結卵子等を用いて挙児につながる場合もあり、妊孕性が温存できなくても養子縁組によって新たな家族を形成しうるという希望をもたらすことが挙げられる。
 このような「支援」が少なからぬ若年がん患者から必要とされていることは事実である。しかし一方で、がん治療後に子どもを持つことを希望する当事者であっても、子どもを持てないことを「解決」すべき問題として扱われることに違和感を抱いたり、養子縁組をしないという選択をすることによって「自分は社会に役立てない」という感覚を持ったりする場合もある。社会の中で「こうあるべき」とされる家族像を暗黙裡のモデルとして個々人が家族を形成する現象はがん経験者に限らず一般的に見られるが、その困難に直面するとき、当事者を「支援」することの難しさが浮かび上がる。

報告4. 宋円夢(京都大学文学研究科社会学専修博士課程)

「計画出産の緩和期における「優生優育」思想のあり方とその定着―柯橋区を事例に―」

 長年「一人っ子政策」を堅持してきた中国は、人口ボーナス期の終了をきっかけに、2016年に全面的な「二人っ子政策」、2021年に「三人っ子政策」という計画出産の段階的な緩和を打ち出した。一人っ子政策に関しては、上から科学的な政策として進められてきた経緯、末端組織における大衆動員運動の実践、人々による受容や抵抗の実態など、多面的に議論されてきた。しかし、人口の素質を向上させるため、人々の出生行為の変化を促した「優生優育」思想に注目する研究が不十分である。本研究は「優生優育」思想を手がかりに、出産経験のある女性たちがどのように「優生優育」を受け止めて自分の出産・育児に影響を与えていたのか、を検討する。政策の転換期に、国が女性の生殖を容易に誘導できなくなった理由を、「優生優育」思想の浸透からアプローチする。
 本研究は浙江省紹興市柯橋区の12人の出産経験のある女性に対するインタービューによるデータを用いた。そこから、年齢層に関係なく、「優生優育」思想が広く定着したことが窺える。1980年代前半まで生まれた女性は、比較的伝統的な多子選好、男女児1人ずつの性別選好を示し、きょうだいが支え合いながら成長していくような家族情緒に憧れる。だが、1980年代後半以後に生まれた女性たちのあいだには、女児選好が顕著に現れた。また子供1人に集中して育てるという「優生優育」思想が強く根付き、彼女たちの子供数の選択や子育てに影響を及ぼしている。
 一方で、年齢層にかかわらず、すべての女性が計画出産の緩和に消極的な態度を示している。なかでも、「2千万円をくれても産まない」という流行語が現れた。その背後には、現在の社会環境の中で、優生優育という概念が再解釈され、様々な側面に援用されてきたことが窺える。具体的には、経済的育児コストのみならず、女性たちは子育てに使う肉体的・精神的エネルギー、さらには住宅価格の高騰、家庭内ケア市場の不整備、食品安全の問題といった社会環境をよりよい子を育てる「優生優育」のつまずきとみなし、疑問視するようになった。つまり、「優生優育」思想の定着により、国による計画出産の緩和を支えるための施策および宣伝・広報はもはや人々の自発的な産みたい主体を喚起することが難しくなった。女性たちは優生優育に対する自らの理解・解釈をもちながら、政策転換に「無関心」という戦略をとっている。